2025.08.12
向き合う大切さ、忘れてはならないこと
この度の豪雨により被災されました多くの皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
昨今の天候は、過去の例が参考にならなくなって参りました。
万事、自分事として捉えるように心がけたいと思う次第です。
1日も早く日常を味わえますようお祈り致します。
鹿児島へ越して来て1年を迎えた。
先日、学生時代の友人達が鹿児島へショートトリップを兼ねて遊びに来てくれた。
2泊3日。
本来は、霧島方面の予定でしたが、この頃の新燃岳の活発さを懸念し、南方面を中心に周ることに。
鹿児島が故郷と云いつつも父の仕事の関係で、実はほとんど今の土地に住んで居なかったので、全く土地のことを案内できる知識がない。
地図を広げ、こちらに住む友人たちの情報をもとにあれこれルートを練った。
そんな中、私自身も未だ足を運んでいなかった知覧特攻平和記念館を提案したところ、ぜひ行きたかった所だったということで全員満場一致。

我が家から1時間ちょっと。
駐車場には早朝よりたくさんの鹿児島ナンバーの車が、しかしよく見ると大半がレンタカーであった。
想像以上に整備されていて、しかも入館料も仮に家族全員で訪れたとしても、大きな負担にならないような価格設定となっていた。
施設に入ると1036柱の隊員の遺影と遺書、軍服、遺品など6000点が見やすい展示が工夫してあり、訪れている人々は、年代層も国籍もかなり幅広い。
ガラスケースに収められた手紙は、保存状態もよく、どれも達筆で、どの内容も胸にこみあげてくるものばかり。
そこに魂が寄り添い続けているかのような温度が伝わるようだった。
これは事実である。
映画のシナリオではない。
何度も心の中で繰り返しながら、順路を進んだ。
20歳そこそこの全国の青年たちが、しっかりした言葉を家族へ遺し決意と覚悟をしている。どれだけ心の裡と文字にした言葉が乖離していたことだろう。
知りうる限りの当時の日本の時代背景を与したとしても、想像が難しい領域の行為である。
今の自分たちの次元をはるかに超越した勇気。
否、勇気という言葉では全く足りない、なんという表現がよいのだろう。
適切な言葉が未だに見つけられないでいる。
敷地内に突撃前夜を過ごす三角兵舎が再現されていたので、足を踏みれることにした。
入り口から階段を3段ほど下り、半地下のような作りの大きな三角屋根の建物に入ると、通路が真ん中にあり、その両脇に敷布団と掛け布団が10組ほど整然と敷いてあるのみの空間であった。
ここで何を想ったのだろうか。眠れた人がいったい何人いたのだろうか。
再現したものであるというのに、迫るものがあり長くはそこに居れなかった。
三角兵舎を出ると、知覧特攻平和観音堂があった。
私たちの前で順番を待っていた親子は、館内でも常に自分の少し前を進んでいた親子だった。
父親らしき男性と小学高学年くらいの男の子。
しっかりと観音堂に黙礼し手を合わせている親子の姿を見ていると、また別な感情が湧いて来て目頭が熱くなった。
結局、終始コンタクトレンズが潤んでばかりであった。
のちに話題になったのだが、この光景は、友人たちの心にもとても印象に残ったようで、その共通感覚が長い付き合いを続けさせてもらえているという、言語化できない根っこの部分に触れた瞬間のように思え、ひとり嬉しかった。
終戦し、80年経とうとしている。
誰もが訪れるべき場所だと思う。
英霊たちの安らかさと必死で生きて今に繋げてくれた当時の日本の人々に敬意を。

