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2023 January

2023.01.25

形という発露

 

 

 

専門の大学へも通わず師匠もいず右も左も分からぬまま制作活動を始めたことは、長い間、コンプレックスとしてパラサイト化していた。

これを取り除くためには、結局のところ専門の大学に通い、師匠と出会うことでしか解決できない。しかし、異業種からの転身でその時間を確保するには年齢が過ぎている。

20年ほど前、もはや制作活動と同時進行の自分流でいくしかないという着地点に辿り着き、学びと仕入れを兼ねて色んな国へ足を運びなるべく自分の目で多くのものを見て感じとることに注力することにした。

これは、座学よりも自分には向いていたように思う。

 

 

 

 

決意を行動に起こし始めてから10年くらい経った頃だっただろうか。

パリでおなかいっぱいにギャラリー、美術館、博物館を訪れ、最後に大きくパンチ食らったのが装飾美術館だった。

古き佳き時代がなす芸の結晶、巨匠たちの恐ろしいほどの技術、過呼吸になるほどの圧倒的な感性、敬意、自分の足元、立ち位置、半ば辟易。それらが混在したカオスを引きずりながらセーヌ河沿いを歩いた。

冷たい風が頬を叩く。

コートの襟を立て、ポケットの中のカイロを握りしめながら思った。

「新しさとは何だ」

「とらわれることの全てを拭い去り、もっと己を自由に表現することでしか、もはや新しさは生まれない」

「まず、己をすることからだ」

 

積み重ねることが厚みとなり奥行きとなる。

厚みの中に五感を通して感じた断片を織り交ぜ、自分の言葉や色や音、気に変換し思考となりいつしか形として発露される。

 

新しさの基準は誰が決めるのか。

惑わされてはいけない。

奴隷になってはいけない。

全ては自分というフィルターに通し感じることに忠実であろう。

 

思い起こせば当時のセーヌ河沿いの新しい決意が、ようやくパラサイト化したコンプレックスをフェードアウトへと導いてくれたように思う。

 

奥行きのある厚みは、おおよそが無駄と思われそうなインプットから形成されているのかも知れない。

のちに整理、統合する構築力が必要される。

あれから20年。

今がそのステージであるような気がしている。

 

 

 

 

2023.01.20

お気に入り冬アイテム

 

 

 

大阪生まれの白金カイロ。

ご存知の方どのくらいいらっしゃるのでしょうか。

 

 

 

冬山の魅力を知ったのが5年ほど前、身体は常に動いているので皆さんがイメージするほど寒くはないのですが、とにかく手先がめっぽう冷たい。

使い捨てカイロもいまひとつ。

そこで、偶然知ったのが使い捨てカイロが主流となる以前からあったという白金カイロ。

使い方は、ジッポライターのような容器にベンジンを入れて火を近づけると、プラチナ触媒が化学反応を起こし熱を放出させるという仕組みらしくベンジンの量の調節で軽く12時間以上は暖かさをキープするのです。

 

これが冬山には最強。

もちろん冬山だけではなく、日常生活でも大活躍。

寒い朝にはアトリエへの道すがら握りしめながら、制作中には専用ベルトのポケットに入れて腰に巻く、自転車の移動の際もポケットに入れておく、これまでは寒くなるとなんとなく買い物を避けるようなメニューになりがちでしたが、ポケットに手を入れるとぽかぽかするのでつい寄り道しながら散歩も兼ねるようになった。

冬のひだまりの中をポケットの中の暖を確認しながら歩く散歩はなかなか気持ちの良いものです。

頭寒足熱ならぬ頭寒手熱。

 

カバーを見て気づいたのだが、今年で誕生100年なんですね。

このハイテクな激動の時代を経て100年も商品が生き残り販売されているとは、本当にロマンすら感じます。

なので、やたらと周囲の人に勧めておりましたら小さい頃使っていたという方がちらほら。

南国生まれの私が知ったのは、つい3年前。

ロングセラーであり続けて欲しいので、ブログにまでアップしているというお気に入りぶりです。

あまりにヒットしたので2個使いをしております。

 

容器にベンジンを入れ着火する少しのひと手間が、マッチを擦って煙草を吸う束の間の豊かさを追体験できるかも知れません。

と、煙草は吸ったことないんですけどね。

 

冷え性、よろず使い捨て感覚に抵抗のある方はぜひお試しくださいませ。

 

 

 

 

 

2023.01.14

おむすびのためのお皿

 

 

圧倒的にお米派の私は、炊飯器をやめて土鍋で炊き始めて10年くらいになるだろうか、食す度に日本人でよかったと思う。

新米の季節には、あまりの美味しさにお米は世界一の食の神に君臨すると疑いの余地なくそう思うのである。

 

ところでおむすびは皆さんどんな形に握りますか。

これは、面白いもので同じ家族の人間でも握り方が違ったりする。

人生で初めて食べたおむすびはおそらく母親かおばあちゃんの握ったものではないでしょうか。

我が母のおむすびは俵型でちょっと変わっているのがサイズがばらばらなのが特徴だ。

最後に握ったであろうものは、まるで寿司ネタのないシャリみたいなかぼそさ。そんなばらばらなサイズのおむすびたちは、お皿に盛られるとなんだかたよりなげで映えない感じ。

なぜサイズがばらばらなのか一度も尋ねたことはないのだが、いざ食べ始めると胃袋に合わせて家族みんながそれぞれちょうどよいサイズを選びながら食べれるので、お皿は決まって空になる。

長年家族の健康と台所を仕切ってきた母親なりの無駄を無くす知恵なのだろうと推測している。

亡くなった祖母は厚みのある丸型でふたつ食べることは難しいほどのずっしりとしたおむすびだったが、不思議とやわらかくていつも両手で持ってふわふわと食べていた。

私自身はと言いますと、気がつくとさんかくむすびが多い。

 

 

 

 

お米が好きならば、おむすびは大好きなわけで我が家にはおむすびのためのお皿が何種類かある。

大きめの塩おむすびに海苔を巻いた時には、さんかくむすびで三角皿。

小さめの俵型の塩おむすびに梅干しや昆布の佃煮などを添えるときには耳のような形をしたお皿。

 

 

 

 

おむすびがふたつの時には富士山の形のお皿。

五穀米や赤米のおむすびの時には、柄入りの丸皿。

 

器で様子が変わる。

おむすびのテンションも上がっているのではないだろうか。

 

今は器を替えて楽しんでいるのだが、幼い頃しばらく住んでいた鹿児島県の島の家には、ブーゲンビリアやモンキーバナナ、月桃の花が敷地内に咲いていた。

日曜になると庭先の月桃の葉におむすびを包み、趣味の釣りに出掛けた父親の元へ母親と弟と3人でお散歩がてら届けに行き、家族で食べたことを覚えている。

あの葉っぱはとてもいい香りがして、広げると瑞々しい緑に真っ白のおむすびがきらきらと光り特別感があり、まるで高貴なおむすび様といった感じだった。

確か、殺菌作用もあるとかで暑い島での生活の知恵としてどの家庭でもやっていたように記憶している。

いくつも皿を替えておむすびを楽しむよりも、月桃の葉のお皿の方が数段豊かであるように感じるのは、物質過多な今という時代ゆえだろうか。

 

今となっては容易に再現できないのが寂しいものである。

 

 

 

 

2023.01.12

漕ぎながら学ぶ社会科

 

 

 

「積もった雪」

 

上の雪

さむかろな。

つめたい月がさしていて。

 

下の雪

重かろな。

何百人ものせていて。

 

中の雪

さみしかろな。

空も地面も見えないで。

 

童謡詩人 金子みすゞ 作

 

 

 

 

昨年末から取り組んでいる完成までに時間の要する作品がひとだんらくしたので、昨日はサイクル県山口へリフレッシュライド。

 

陽が昇り辺りが明るくなった頃到着したのは山口県の日本海側、金子みすゞの故郷、仙崎。

今回は、仙崎から青海島のかつて捕鯨が盛んだったという通近くまでの海上アルプスコース。

連続でロードバイクの話で、あまり興味のない方にはいささか気が引けますが、途中の景色がとても美しかったもので。

 

 

 

漕ぎ始めて1時間もすると、九州ではなかなか見ることができないまるで水墨画のような朝の景色にうっとり。

防波堤に腰掛けてコーヒータイム。

吹き渡る潮風にのって聞こえる鳥の声、ゆらめく海面の光。

足元の海を覗き込むとまるで異国のリゾート地のような透明度に感嘆し、思わず見知らぬ釣り人に声をかけた。

 

 

山口県はサイクル県と名乗っているだけにさまざまなコースがあり名所も数多い。昨年はお正月明けに秋吉台を走りその壮大さに改めて感激した。

2年前には、瀬戸内の周防大島を走り、3年前にはCMロケ地にもよく選ばれる角島を走った。

以前、角島を走った帰りにも見たのだが夕刻が近づく頃の響灘は、黄金色に輝き心底美しく、のちに陽が沈む頃になると果てしなく広がる水平線に溶けるようにして落ちる太陽は、あたりを黄金色からじわじわとオレンジ色へと変化させてその水面はただただ美しく無言になります。

 

 

 

 

 

ロードバイクを始めて思うのだが、これまで本当に常に自分のすぐ側にあったものをあまりよく見ていなかったとしみじみ感じるのです。

 

自分の住む街、となり街、郊外、おとなり県、そこにある歴史とゆかり、町のなりたち、地理、名所、祭り、名物…。

便利な街に住んでいると、生活に不自由を感じないので一歩も街を出ずに済む。

でも、知らない街に行きロードバイクで走るといろんな町の顔が見えてくる。走る前の下調べだけではなく、帰宅後に改めて町のホームページや地図を見ることが随分と増えた。

自転車を漕ぎながらの社会科勉強のよう。

 

人の営為、暮らす、生きるということは、場所が変わっても基本部分は同じである。

でも、その形や見えるものは明らかに同じではない。

それぞれである。

 

みんなちがって、みんないい。

 

金子みすゞの詩のフレーズが心にしみわたるのです。

学んだはずの金子みすゞの詩にも再び触れる機会を与えてもらえる。

大人になってからの学びは遊びから得られるのかも知れない。

そしてその扉はいつでも開けられる。

 

 

 

 

2023.01.02

2023スタート!

 

 

新年あけましておめでとうございます。

 

 

近年、新年はライドに始まり一年の締めくくりは山で終わるというなんとなく決まりごとのようになって参りました。

2023年、爽快な気持ちでスタートさせるべく今年は国東半島にて幻想的な日の出を拝み、黄金色の朝焼けを背に浴びながら海沿いロードを走りました。

 

 

愛車のルーベも昨年後半はなかなか外の空気を吸えなくてごめんなさい。

本日は素晴らしい景色の中を走ることができました。

 

 

 

 

国東半島から伊美港まで走り、フェリーにて姫島に渡り島内一周の予定でしたが、盛りすぎなスケジュールはやめまして宇佐神宮へと初詣に向かい帰路につきました。

 

いつかツールド国東、出場できたらな。

なんて妄想が広がってみたが、己の貧脚という現実に目が覚めるのであった。

 

とはいえ、ロードバイクで走らなければ得られない爽快感を知った今は、山とは違うオンオフのスイッチチャンネルが増えたようで自分レベルでは満足しております。

 

本年も作る時間を味わい、且つ出来上がった作品たちを介して色々な場所で多くの方々の笑顔にお会いできますように。願いを込めて。

今年もよろしくお付き合いくださいませ。

 

 

お詣りした宇佐神宮では、二礼四拍一礼。

だそうです。

 

 

 

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