2017.03.17
物体の放つ光と交錯する光
我々は物体の何を見ているのだろうか。
フォトグラファーという言葉は、ラテン語で光を描く人という語源であるらしい。
コンデジを卒業し、一眼レフに変えて1年半。なかなか上達しないが、写真が光そのものであることは、よく理解できた。
色はただの添え物。
輪郭をつかみ、物体の内面を引き出す作業そのものだと捉えて、技術が伴えば撮影されたものもかわるのだろう。
そのことがきっかけで我が家の生活スペースで、先月から全面的なちょっとした照明改革が行われている。
全体を上から照らすシーリングライトを極力使わず、灯りの色調、色温度と場所を意識してみる。
これまでと景色ががらっと変化した。
家具の後ろに、リメイクしたアッパーライトを設置してみると、照らされるものが横顔を見せる。
光が変化すると、物体は別な顔を見せる。
部屋の中のいるものものたちをあれこれと撮影してみた。
今、この空間に流れている音。
殆どの方がこのCDジャケットを見てイメージする曲調に大差なく、行進曲が流れていると確信する方は皆無だろう。
額装しているデッサン画。
光が生む額縁の影が伸びる方角に、物体の持つ奥行きと立体感を思い起こさせる。
飾られている花。
光が当たっている場所を、クローズアップでしみじみと捉える。
昼間挿したこの花は、こんな形だったか?
セードを外してリメイクしたフロアースタンドが照らす壁は、昼間見る白々しいクロスではなくなった。
フロアースタンドそのものも、灯りがつくと別な存在に見える。
アクリル製のブックエンド。
何?誰?全く別な存在に変身した。
物体が放つ光と光が呼び醒ます物体の本質。
夜は、そうやって物体が放つ光と交錯する光たちにゆるやかに包まれて心休まるための時。
一眼レフを持ったことで、生活の中の光に少しだけ敏感になった。
そのことで、とても時間が濃密に流れるのを感じることができる。
一眼レフは、自分の生活に思わぬ副産物をもたらしてくれた。
歴代建築家たちが、照明をとても大切に扱い、照明器具のデザインを続けたという事実も頷ける話である。
副産物は有難いが、撮影技術がもっと上達してくれたらよいのだが。