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2022.04.21

ブームという渦中の側を横切る

 

 

 

 

巷では大型連休なるものが近づいている。

 

サラリーマン時分にはどんな過ごし方をしていたのか、その間、自分自身にも数々の変化が生まれたこともあり、記憶を辿るのも容易ではなくなってきた。

 

 

 

 

数年前に始めたトレッキング。

最近では空前のキャンプブームも重なり、登山口近辺に設営されているキャンプ場は昨年あたりから無料駐車場が有料化になっている。

我が街福岡も、閉鎖された遊園地や広い敷地の公園などがこぞってキャンプ場やグランピング施設へとシフト運営のニュースを耳にする。

 

休日には、設営された色とりどりのテントが驚くほどにひしめき合っている。

つい3年前には目にしなかったことなので、改めてブームの渦中であるという現実を実感するほどだ。

 

少し地味めの山となると登山道を進む人は、そう多くはない。

 

キャンプ場の喧騒を過ぎて山に入ると、心がすうっと静まるのを感じた。

その感覚は街の中心へと出かけ用事を済ませ、自宅の最寄りのバス停を降りた途端に感じるものと至極似ていると気づき、これでは日常生活と大差ないのではないかと不思議な感覚になった。

 

トレッキングは、登山口からスタートするのではなく、前日の準備から始まる。

地図アプリをダウンロードし、ルートと地形、自分レベルでの所要時間を計算。

気温や風速、災害などによる通行止め登山道がないか調べ、休憩ポイントや景色のポイントをチェックし、行動食や水分、お弁当の準備、適切な体温調整のレイヤリングに合わせたウエアの準備。

 

山での過ごし方から全てを逆算した準備をする。

 

登山口は基本的にある程度の高度にあるので、登頂する山が見え始めると住宅は減り景色はがらっと変化してゆく。

車が離合できるかどうか際どい蛇行路を延々と進みながら少しずつ上がる高度を、時おり開ける視界の先に見える遠くの街並みで実感するのである。

登山口の駐車場に着くと先着の車のまわりで、登山装備の人々が入山への準備に余念ない姿を確認する。

どこからやってこられたのだろう、縦走コースで途中テン泊予定なのだろうか。

そうやって静かに挨拶を交わし、其々が山へと入ってゆく。

 

前日からスタートしているトレッキングの静かな本番スタート。

早朝暗いうちから自宅を離れ、徐々に景色が一変し山へと近づいてゆくこの登山口までの道のりと連動した心の静まってゆく時間、心の中から言葉が減ってゆく時間が、私にとってのトレッキングにはとても大切にしたい部分なのです。

 

キャリアの浅い私ごときが語るのも憚れるのだが、おそらくトレッキング愛好家の大半の方々も、登山口手前からこのフェードアウトしてゆく静の時間に味わいを感じているだろうと思う。

 

登山口に着くとこぼれ出している音楽や溢れている人とテント、車。

喧騒化しているキャンプ場に心が混乱したほどだった。

 

 

なんと表現してよいのだろうか。

個人的に、はみ出している感覚がどうも苦手である。

他人より少し過敏なところがあるのかもしれない。

 

店舗の外、公共の道路に、はみ出す音楽や商品や広告旗。

気分のままに必要以上の爆音轟かせて走り去るバイクや車。

誰かが話している会話にまで、はみ出してくる別な誰かの私ありきな会話。

誰かの意思ある行動を、阻止したり、方向転換させようとする別な誰かの執拗なほどのはみ出した思考による発言。

 

領域を侵す。

これは、人であれ場所であれ、あまり心地よいものではない。

 

 

新渡戸稲造が、外交の一環として解りづらい日本人の気質を「武士道」として書物にし、世界中の人々に言語化して伝えた歴史的人物であることは周知のこと。

 

その書物の中に出てきた日本人が持ち合わせているとされていた言葉が思い起こされた。

 

わきまえる。

 

わきまえることは、人が生きてゆく中でつい忘れがちなことである。

キャンプ場の喧騒、ブーム渦中の側を横切りながら自省した次第であった。

 

 

 

 

 

 

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