2016.01.16
時の加減
素材が風化していく過程で、渋みを感じる時の加減というものがある。
若い頃にはその加減が見えず、掴めず、感じずで、イコール、ボロ。
そんな直結公式しか持ち合わせていなかった。
人の触れた形跡だったり、匂いだったり、温もりだったりが、時とともに記憶され積まれていく。
味わい深いものがある。
ヨーロッパでは、どこの国も週末になるとフリーマーケットがあちこちに立つ。週末に限定せずとも、毎日営業している屋内マーケットも多い。古着に、食器に、子供のおもちゃ、台所用品、日用品、本、一体何に使うのか意味不明なものまでわんさかある。
この頃では日本でも大きなイベントとして浸透してきている。
初めて異国で見たフリーマーケットでは、楽しみ方がいまひとつ分からなかった。
でも、今は、その国の生活の歴史や習慣、意識価値、民族性のようなものが見えて、なかなかに興味深い。
国は違えど生活の新しい観点が潜んでいる。
生活の中で、当たり前として無意識化して行動していることに、一石を投じる。
当たり前であること、最も普遍的なものほど、創造性に満ちあふれていことはない。
改めてそう思える。
時のほどよい加減を、今まさにゆったりと歩いている素材を発見した。
渋いなあ。
威圧的空気は一切なく、時を受け入れたむしろ堂々たる気さえ感じる。
こんな大人になりたい。