2020.12.18
薫る花
若い頃は、水仙の花はあまり好きではなかった。
花を見るたびに、小学校の図書館で初めてギリシャ神話を読んだ時の本の挿絵のページがはっきりと思い出されて、いつも読み終わったあとの当時の感情もセットになって蘇っていた。
香りもつんとすました感じよね。
何やら毒を持っているというじゃないか。
の割には、地味な花だ。
なんだかあまり好きにはなれないのよね。
そんな思いと固定されたイメージを1ミリも崩さずに生きてきたのだが、今年、ふと微動だにしなかったはずのイメージが動くきっかけがあった。
夏に山口県の角島にサイクリングに出かけた折に、川棚温泉で汗を流した後お土産物屋を物色していたら細首の萩焼のシンプルな花瓶と目が合った。
この花瓶は、冬には水仙が似合いそうだな。
白い釉薬がまるで庭に積もった雪のよう、その白い土からすっと立ち上がった水仙、清潔感があってなかなかよいだろうな。
そういえば私、水仙の花ってあんまり好きじゃなかったのにどうしてだろう。
人は、少しずつ好みも感じ方も変化するものだとよく聞くものだが、
「絶対」という表現が年齢を重ねるごとに使いづらくなってくるという現実を実感している。
随分寒くなり、水仙の花が花屋やスーパーのお花の売り場でも出回りはじめた。
萩焼の細首のあの花瓶に、水仙を入れてみようか。
初めて水仙の花を買った。
テーブルに花用のクロスを広げ、花瓶と花鋏を置き、セロハンに包まれている花をほといた。
水仙が薫る。
つんとした香りがする。
これまでそう思っていたのだが、不思議なことに冷たい空気に混じった水仙の香りは、意外にもとても清らかで衛生的な気がした。
その瞬間、置き場所が決まった。
パウダールームと玄関からリビングにつながる廊下の2箇所に飾ることにした。
廊下には、以前、大きなイベントでもご一緒した漆作家の林源太さんの作品、六角形の鉄のような色をした漆のしゅっとした掛け花に入れると、照明が生む影も楽しめてなかなかによかった。
細首の萩焼の花瓶は、パウダールームに。
早朝、まだぼんやりしたままパウダールームに入ると、ふんわりと冷たい空気に混じって水仙の香りがする。
この場所で正解だったかもしれない。
リビングによく花を飾るのだが、食事をする場所には、不向きな気がした。
地味だと感じていたものに魅力を感じるようになったり、面白みがないように思っていたものに、普遍的な美を見出したり、人は見えるものが少しずつ変化してゆき、ある時から人生そのものに滋味深さを感じるようになり、全ての事物、関わる人々に改めて情が湧くようになるのかも知れない。
ということは、今後益々、絶対変わらないと言い切れるものは、ほとんどなくなってしまうのではないだろうか。
それは、未来への冒険心にきらめくようでいて、変化の不確かさに少しばかり心細さが混じった不思議な気持ちである。
変化している時間軸にいる自分、それも全て同じ自分なんだよな。
薫る花の側で洗顔しながら、そう思った。