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2018.06.05 /

 

 

 

ターコイズペンダント。

 

形、大きさ、色味共に魅力的なターコイズが手に入ったので珍しく色のある世界を楽しんだ気分だ。

 

 

 

 

 

マット感のある色石は、どうせならば大きいものの方が楽しめると思う。

12月の誕生石と言われているターコイズは、色も含めいろんな表情のものがある。

以前、バンコクを仕入れで訪れた折にターコイズ専門のお店を偶然見つけた。

店内の壁は落ち着いたテラコッタ色に塗られていて、一見カフェのようだったが、そこには今まで見たこともないありとあらゆるサイズのターコイズが壁や天井、足元や棚、そこら中にひしめいていて圧巻だった。

 

カゴの中に小ぶりなブロック状のものがまとめてあったので、色と形の面白いものを幾つか選び、支払いをしようとしたら店主に聞かれた。

 

これを何に使うつもりだい?

 

アクセサリーを作ろうと思う。

 

なるほど。穴は開いてないよ。

 

分かってます。

 

ここは、実は建材としてのターコイズ専門店なんだ。

アクセサリーか、出来たら見せてくれないか?

 

私は日本から来ている。明後日には帰るので、またバンコクに来たら見せます。

 

と、ジャパニーズスマイルで話した。

店主は、タイスマイルで頷いた。

 

どうりで店に入った途端、不思議な面持ちで見られていたわけだ。

 

私は宝石という観点よりも、河原にある形のよい石であったり、自然が生み出した美しい木の実や種であったり、木の皮であったり、そんなものたちが銀ととても馴染みがよいように思い、旅先ではそんな素材やヒントがないかときょろきょろうろうろしている。

 

人によって大切に思うものはそれぞれである。

そんなものを加工し形にして身につける為の素材として、貴金属の中で最も適した素材が銀ではないかと思う。

 

今更ながら自分が選んだ素材に、とても愛着を感じる。

とはいえ、まだまだ素材に弄ばれている感があるのも正直なところである。

 

 

本日は、ターコイズのペンダントのご紹介でした。

一点ものです。

 

追記。

で、そのバンコクで仕入れた変わったターコイズで作ったアクセサリーたち。

帰国後、最初の個展であっさり全部売れてしまった。

おまけに写真も撮りそびれてしまった。

だからというわけではないが、あれからバンコクには行っていない。

今頃、地獄のように蒸し暑いだろうな。

 

 

 

 

2018.05.29 /

 

 

湖面に拡がる何かの波紋。

 

 

 

 

静かに拡がる波紋。

 

このリングは、見る角度によって全く違う表情を見せます。

春、桜の終わった頃に早朝の神社にて撮影をしたのだが、カメラマンもここからだと先ほどのアングルからとではまるで違うリングだ。とうなっていた。

 

リングは小さな立体彫刻だ。

ペンダントは、どちらかというとレリーフに近い。

一見、ブレスレットもリングを大きくした立体彫刻だと捉えられそうだが、その感覚で作ってしまい身につけるとなると、何かと障害が出てくる。

 

ピアスも、仕様によっては立体彫刻となる。

 

そんな意味でも、撮影はなかなか難しいようだ。

我輩の作ったものは、何しろ面が多すぎて、周囲のあらゆるものが写り込むのも難。

しかし、この頃ではその写り込みもナチュラルでよいのではないかと思うようになった。

 

理由のひとつとしては、デジタル化により撮影の時間は短く、デジタル処理の時間を長くすることで、理想の映像にいくらでも近づけられるようになったからかも知れない。

修正をかければかけるだけ、出来上がったものは、撮影者がいて被写体がある、そこに流れ合う人肌のような温度がどことなく薄れてゆくように感じる。

 

どんなものでもそうだ。

過ぎると、「作り物」ではないかという疑念がよぎる。

つまり「偽物」というニュアンスを含んだ言葉が心に浮かぶのは、人が感じる素直な感想だ。

撮影時に偶然が生み出すショットというものが、カメラの醍醐味であるように思う。

 

とはいえ、多少の修正が可能なことが都合のよいことも事実であったりするから、そのさじ加減を含めたものが、現代に求められる感性とテクニックなのかも知れない。

 

時代と共に、感性の示す言葉の領域も広がってきているのを感じる。

曖昧な領域。

 

そんなファジー感の拡がり、波紋の果ての辺りで生きている私である。

 

 

湖面リング。

 

 

 

 

 

2018.05.21 /

 

 

 

溶けかけた氷の塊。

 

 

 

 

 

少し前にご紹介しましたクラウンブレスとの相性を意識したリングです。

 

 

 

他人から見た自分らしい作風はどう捉えられているのだろうか、それを伺い知る機会は実際にはあまりない。

最も自分だと思える作風は、銀だけの地金のものであり、真珠のつかないスタイル。

アイテムは圧倒的にリングだ。

 

と、思っている。

 

この仕事を始めて25年近く経つが、これまでいくつ作ったかカウントこそはしていないが、自分に似合わないものも沢山ある。

否、寧ろ、大半がそうかもしれない。

自分以上に似合う方々の元へと巣立つ瞬間を目の当たりする時は、素直に嬉しいものだ。

出来上がったものたちは全て自分の一部であり、居場所を見つけたものたちは、所有する誰かの一部へと進化してゆく。

 

その一部の中に私が少しだけ生きている。

それを作る過程で向き合った時間と心を閉じ込めて、控えめに生き続ける。

 

自分の一部から生まれたものたちは、誰かの一部と混ざり、やがて誰かの一部と切り替わる、それでも尚、静かに生き続け消えないように。

これを閉じ込める。

も少し分かりやすく説明するならば、

溶けない氷の塊を含ませるように完成させること。

 

そんな風に向き合いながら、作っている。

その時、全体の中に在る自分を感じている、いわば無の刻、時空を旅している。

 

 

 

溶けかけた氷の塊に、溶けない氷の塊を閉じ込めて。

 

アイスロックリング。

 

 

 

 

 

2018.05.13 /

 

 

トライアングルなピアス。

 

首元にポイントのあるペンダントをつけた時、もしくは常に眼鏡をかけている場合、ピアスのボリューム感はなかなかバランスとるのが難しいものである。

 

 

 

 

とはいえ、ピアスひとつで顔の印象をすごく変えてしまうというのも事実である。

顔のトーンを一段階上げてくれたりする時もあれば、つけるピアスに気持ちが押されそうになる時もあり、抑え気味なものを使いたい時もある。

 

人間には、バイオリズムというものがあるので、四六時中、元気発剌!ワハハ!な状態ではない。

 

少しだけ、揺れるデザインで、少しだけキリッと、少しだけポイントにしたい。

少しだけ。

その加減はなかなか難しい。

 

その少しという基準そのものが、千差万別である上に、その方の雰囲気、身長、装いも基準に加味される。

やはり身につけた時のハートにピンと伝わってくる感覚を、素直にキャッチすることの方が何よりも大切だと思う。

 

個人的には、そのさじ加減、今回はバランス取れた方ではないかと思っているのだが、さてどうでしょう。

 

 

 

 

2018.05.06 /

 

 

巷、ゴールデンな1週間の休日も暦上では本日まで。

ずっと気持ちのよいお天気が続いておりましたが、本日はしとしとと雨が降っております。

 

 

 

 

 

こんな日は、音楽を聴きながら、じっくり煮込む料理や煮豆を作ったり、新しいレシピに挑戦したり、と、キッチンに立つことが多い。

 

ハイスツールに腰かけて軽めの内容の本を読みながら、時々鍋の中の様子を伺う。

 

ダイニングテーブル用の椅子とは別に、ハイスツールが一脚あると便利だ。

台所仕事はずっと立ちっぱなし。

連続でやっていると、案外疲れるもの。

ちょっと腰かけて皮をむいたり、幾つも幾つも同じ作業が続く時や、レシピ本を眺める時、来客時、調理の途中でテーブルにつき乾杯したり、食事を一緒につまんだりするのにも、キッチンにさっと立って戻りやすく、少し座るだけでお客様も気遣いが減る。

 

使わない時は、壁際に寄せていても邪魔にもならず、それでいてサマにもなるというハイスツール。

 

椅子好きな私としては、使ってみて非常に便利だと気付いたもののひとつでもある。

 

 

月に腰かけた真珠。

大人ペンダントです。

長さもボリューム感も真珠の大きさも、大人感いっぱいです!

 

今夜は、さすがに月は見えないんだろうな。