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2017.08.04

一日一花

 

 

 

今日はどのお花にしようかな。

 

 

 

 

 

 

行きつけのお花屋さんでは、まずひととおり店内を眺めてから、今日はこの花を是非買いたいというお花を一輪決める。

そこから組み合わせる花や枝ものなどを店主と雑談しながら、決めてゆく。

今日は、どれにするとね⁈

店主の可愛らしい博多弁と、にっこにこの笑顔もお気に入りだ。

 

今週は、可憐に咲き、慎ましい蕾たちが幾つもついたテッセンに即決。

合わせたブラックベリーがじわじわと色づき、渋めの空気感が漂っています。

 

 

 

 

テッセンの花を見た瞬間、川瀬敏郎氏の「一日一花」が頭の中にチラついた。

仕事が煮詰まって空回りしてるなと自覚して流れを一度止めたい時、家事が終わりひとやすみの時、早朝、いつもより少し時間が確保できて仕事に入る前に、いろんな状況の時に何度となく眺める写真集。

頭の中に静と無と白のスペースを作る。

そんな一冊である。

 

お気に入りの椅子のサイドテーブルに出しっぱなしにしている。

 

枝が伸びる線の先をゆったりと見たり、虫食いの葉っぱをじろじろ見たり、花器をしみじみと眺めたり、花の名前の漢字と呼び名を照らし合わせたり、花と枝の空間をじっくり見つめたり。

何度も見ているが、このページはよく見ていなかったかも。

毎回、そんな風に思ってしまう。

366日分の花の写真集だが飽きない。

 

 

 

花瓶の中の花も、毎日表情を変えてゆきます。

一日一花。

 

今日も暑かったけど、よい一日でした。

 

 

 

 

2017.07.31

日本の風情と風物詩あれこれ

 

 

 

スカッと晴れた青空をあまり目にすることなく、湿度が異常に胸苦しい感じのする日が続いている。

 

 

 

 

先日、昨年から行き始めたお気に入りの福岡近郊の天然温泉へ行った。月に2回は行ってるだろうか。

山手にあるせいか同じ福岡とは思えないほどの涼しさだ。

 

温泉といえば露天風呂。

この時期は屋内のお湯にはつからず、ずっと露天はしご。

 

少しずつ日が暮れて辺りは落ち着いた空の明るさへと変化しながら、ひぐらし蝉が風情たっぷりにしとやかに鳴いている。

我が家の近辺では聞くことのない蝉の声

秋には赤く染まるであろう紅葉が、宵の空を背景に綺麗なシルエットを散りばめている。

湯けむりに紛れながら、どこからともなく蚊取り線香の香りが漂う。

 

深呼吸をゆったりとひとつ。

 

夏の山地の温泉もよいものだ。

 

日本人は、お風呂好きな民族とは世界的にも知れた周知の事実。

落ち込んだ時、気分がすぐれない時、私は時間に関係なくお湯をはってお風呂に入るようにしている。

 

そして、好きな献立を作りゆっくり食事をして、早めに眠りにつくと、翌朝には殆ど完璧にスイッチが切り替わっている。

 

これで切り替わってない時は、体調の悪い時だ。

 

以前、1週間ほど入院生活をした時に思ったのだが、食事制限よりもお風呂制限の方が私にとってはとても不自由さを感じた。

確かに私は、お風呂好きな日本人のようだ。

 

本日は、夏の風物詩あれこれのお話と画像でした。

 

明日から、8月です。

 

 

 

 

2017.07.25

桁違いな世界との遭遇

 

 

 

写真は、独特の匂い、空気を流しながらそこで生き続けているような気がする。

 

ベルリンを旅したときのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ベルリンには、写真家たちが作品を発表する場が多く、写真だけのギャラリーもたくさんあるらしい。

滞在中に、世界的にも有名な日本人写真家がベルリンのグッゲンハイム美術館でちょうど展示をやっているのを知った。

著名であっても日本ではなかなかお目にかかれない写真家、なるほど仕事の舞台は世界なのかと納得した。

 

宿泊したホテルのすぐ近くに、ヨーロッパでも、写真家たちの憧れの写真専門のギャラリーがあったので、行ってみることにした。

大きな鉄の扉のサイドにギャラリー名の書いたブザーがあり、鳴らすと施錠が外される音がした。

奥へ進むと、砂利の敷き詰められた広い中庭があり、街中にいる喧騒は一気に消され、中庭のど真ん中にそびえ立つ見事なプラタナスの木陰の下にはテーブルと椅子が何脚か置いてあった。

ヨーロッパのギャラリーや美術館は、程よいアプローチが必ずとってある。

 

ギャラリーまでのこのゆったりとした間が確保できるのが、個人的にとても好きだ。

 

ガラス張りのエントランス。

 

展示は3階まであった。

一階にはとてつもなく大きな写真が数枚で、技術的なもののアピールなのだろう、私には難解だった。

階をあがると少しずつサイズが現実的になっていった。

特に、3階に展示してあった写真は、どれも美しかった。

うっとりするような光や、触れそうな質感が出ている水面、モノクロともカラーとも判別つかない色調。

素晴らしかった。

クリスチャンディオールがショウのために作った大きなツバの帽子を被る女性。

スーパーモデルがくしゃくしゃに笑った素顔。

亡きダイアナ妃のはにかみながら正装した姿。

 

ふと気がつくと展示写真のフレームの下に、赤い丸いシールが幾つも貼ってあるのを発見。

よく見ると値段が表示してあった。

あれ、このフロアーのものは全部売り物なのだ。

 

この写真は?

換算してみる。

も一度換算してみる。

!!!!!

フロアー入り口に戻ることにした。

 

いささか悪趣味であるとは思ったが、ちょうどフロアーには私しか居ないし、まあ、よいか。

電卓出すわけでもないし、と自分に言い訳しながらシールの数と金額、ザクッと暗算してまわった。

 

 

絶句。

凄すぎる。

 

会期は1ヶ月。

今日は、ちょうど始まって一週間足らず。

 

 

優れたアーティストたちは、やはり求める人が多く集まるところを舞台にするのか。

アーティストたちが集まるから、求める人が寄るのか。

 

なんとも、自分とはかけ離れた世界を知った瞬間だった。

 

自分とかけ離れた世界に遭遇できるのは、日常を離れた時に多い。

桁違いな才能と桁違いな市場があるという現実を知ったこと自体が、妙に嬉しかった。

頭の中に新しい領域を得たような気がしたからだ。

 

画像は、私の寝室に飾った自分で撮影した旅の写真たち。

 

世界中には、人の数だけ現実というものがある。

 

いろんなレンズを使い、ファインダー越しに眺めることで自分以外の人間の現実が見えてくる。

自分の現実以外は、すべて非現実であり、仮想。

その非現実と仮想を現実に生きる人たちが、数多いるのだ。

世の中は、実に面白い。

 

あの日、私は異国で新しいレンズを手に入れた。

 

 

 

 

 

2017.07.22

ただいま水中培養中

 

 

 

グリーン培養中。

ベランダで育てているアロマティカスが、狙いどうり鉢からこぼれるようにしてぐんぐん繁殖している。

 

 

 

 

 

 

 

 

もふもふした多肉系のアロマティカスは、爽やかなミントやレモングラス様な香り。

暑いメキシコでは肉料理にも使うとか。

私は、もっぱらこの暑い季節には炭酸に浮かべて涼感を得たり、テーブルやキッチンで目視にて涼感を得ております。

 

根をつかせるための水中培養には、若い頃に愛用してた香水のボトルが重宝してます。

 

似たものや同じものを沢山並べる。と、なんとなくサマになる。

ゴミになるまえに、今一度そんな使い方をしているものたちが、瓶や箱、缶の類い。

 

専門店の多い国に行くと、これだけのアイテム数だけで商売になるのかな。といらぬ心配をしてしまうお店がある。

しかし、実際お店に足を踏み入れるとお店側がいろんな用途を提案してうまくディスプレイしている。

眺めているうちに、あれこれ欲しくなってしまう。

かと思えば、整然とした商品の陳列、見せ方にプロフェッショナルな気を感じさせるお店もある。

そんなお店は、事実、何を質問してもきちんと答えてくれる。

そして、そんなお店でもあれこれ欲しくなってしまう。

 

 

ひとつのお店で全てが賄えるよりは、お気に入りのお店をいくつか確保して専門店買いというお買い物のスタイルが、個人的には好きだ。

 

時間はとられるけど。

選んでいるという実感と道すがらの折々の発見が、いとをかし。

 

 

 

 

2017.07.16

心の入った手仕事

 

 

毎日、ぐったりなるほど暑い。

毎年のことながら、ぐっしょり汗をかきながら制作をしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎日、二回のシャワーと一回のバスタイム。

仕事を終え汗を洗い流し、エアコンの効いた部屋で過ごす時、ああ、今日も充実した1日を過ごせたと、充足感が体中をめぐる。

 

こういう瞬間、やはり白い花やさわやかなグリーンが室内にあるだけで、涼し気な気持ちになり心底リラックスする。

 

 

これは、山梨のガラス作家さんのテトラというタイトルの花器。

一目惚れだった。

ところどころを模様のようにクリアーに磨きをかけてあり、この季節に見ると水中の茎の部分が風に揺れているように見え、なんともいえない涼感を得られる。

 

目の前をさわさわと風が通り過ぎていくような感覚になる。

 

冬は冬で、雪でけむる空の下にキリッと咲いているように見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花器は好きで、卓上の小さなものから、窓辺に置ける大きさ、床置きほどの大きさと気がつけばちょっとしたコレクション?というくらい集まってしまった。

 

どんなにフォルムが気に入っても花を挿し込む口の部分が程よい細さ加減でなければ、花を美しい姿でさすことができない。

花器の中に収まる茎の先端のスペースもいい塩梅に確保されそうか。

その時の花の角度が複数とれるなら尚良し。

 

買いあつめながら失敗しつつ、自分なりのポイントをやっと心得て判断できるようになってきた。

 

この花器は、作品のディスプレイとしても重宝するだろうと即決した。

ボディに見立てて、ほっそりとした首の部分にチョーカーを展示したり、ブレスレットを何連も展示したり。

 

いつも思うのだが、クリエイターの作ったものは、用途がひとつではおさまらない表情がある。

 

 

常に使い手に語りかけてくれてる。

 

それが、心の入った手仕事である証しなのだと思っている。

 

 

自分の作ったものも、そんな風に誰かの元で時におしゃべりしてほしいものだ。

 

 

 

 

 

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