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2018.11.17

秋の午后

 

 

 

息をひそめるような青空を背景に、赤く色づいたもみじがさえずるように揺れる。

 

葉の先端まできちきちに開き、透けるほどに光を浴び、さえずるさまは生の証し。

 

 

 

もうひとつ。

遠くさえずるような音が、足元から聞こえてきた。

 

 

 

 

音の先に見えるは、水分が抜けきってしまったシルエットの重なり。

木々が手放したもみじの葉っぱたちは、路上にて声は違えど再びさえずる。

 

頭上では、今まさに生を謳歌するさえずり、地上ではかつての記憶を辿るようなさえずり。

ふたつの音階の違う音は溶け合い、鎮魂歌さながら秋の午后を鳥のように舞う。

 

 

 

 

 

 

2018.11.11

登山の世界

 

 

 

本は読んだら手元に置いておきたいと思うもの以外は、好みそうな友人や知人に譲るか売却している。

 

しかし、本を開くとどこで生まれたのかちっちゃなちっちゃな謎の本の虫?が現れる程、薄汚れてしまっていてもどうしても手放す気になれないのが山岳小説たちだ。

 

 

 

 

あの苦しさを味わおうとする人間が知る独特の世界観は、実に魅力的に思えてならなかった。

ずっと心の端の方に潜り込んだまま、扉は開かない。

そんな囲われた登山の魅力は、小説を読み進める時に開くもので、実生活とはどこか無縁であると思っていた。

 

先月のこと。

天災の多い昨今、九州も今年は雨や台風の被害が多かった。

避難用のためのリュックをひとつ買っておこうと思い、登山店に出向いたら、そこには山岳小説で馴染みのある道具やウエアがびっしり並んでいた。

 

自分の体験していない世界を知っている人たちがこんなにいるのだ。

しかも、福岡の中心地にもあちこち専門店がある。

これだけの市場があり、需要があるということ。

まずそのことに心が浮き立った。

 

ザックを背負った自分を鏡越しに見た。

 

よし!登ろう!

始めよう!!

突如、扉が開いた。

 

そして、5年前に山を始めた山先輩に頼み込み、トレッキングシューズを新調し山デビューを先週果たした。

 

めっぽう楽しかった。

初回は、ハイキングレベル。

 

明日はお天気良さそうだね。水かお茶を持ってきてね。

前日に届いた山先輩からのメール。

当日は、これ以上にない絶好の山日和。

 

山先輩が温かいお茶、行動食の甘いもの、おむすびや果物、すべて準備して下さっていた。

 

山を始めた時に、自分も山先輩にして貰ったのよ。

だから初めての人と登る時には、いつも2人分用意するようにしてるの。

にこにこしながら青空の下で手早く広げたおむすびランチのおいしかったこと。

格別だった。

 

 

 

 

そして、本日。

仕事を早めに片付けて、先週登った山を復習のつもりで今度はカメラ片手にひとりで登ってみた。

 

ファッションだと思い込んでいたものにも、全て意味があるのだと気づくことが多々あった。

ザックひとつにしても、両手をフリーにしてスマホをする為のタウンリュックとは全然仕様が異なっている。

 

身体感覚の個人差。

登るペース。

選ぶ道、コース。

見える景色。

 

楽しみ方はそれぞれだ。

 

私は、今日、光を沢山感じることができた。

光が当たる場所と当たらない場所。

陰影コントラストが、カメラの露出をいじらなくてもただシャッターを押すだけでこんなにナチュラルに撮影できることに、ときめいた。

街中では感じることのできない、いや見ることのできない光の世界だ。

 

 

今回、山先輩にして貰ったことへの感謝の印として、いつか初めて山を登る方と一緒になることがあれば、自分がして貰ったことを同じようにしてその方に回そうと思った。

 

それが、山を始める礼儀なのではないかと思った。

 

月末は、縦走にチャレンジの予定。

次は、何を感じることができるか今から楽しみだ。

 

 

 

 

 

2018.11.07

微笑み顔施

 

 

 

女性の微笑む横顔の鉄板切り抜きアートを海辺で見つけた。

 

 

 

 

 

働き続けて年齢を重ねてくると、対価として頂いた金銭でただ生活をするだけでは不確かな気持ちになることが増えてくる。

自分ができることが誰かにとって少しでも何かを与えられているのだろうか。

仮に少しでも出来ていたとして、それは一体どんな種類のものなのだろうか。

そんなことを考えるようになる。

 

 

 

人が人に与えるものとしてイメージするものの多くは、金銭やモノ、名誉、地位、権限、概ねそういったところだろうか。

 

仏教用語に顔施という言葉があるらしい。

 

生まれたばかりの赤ん坊を大人たちが見守っていると、赤ん坊は泣き止み、やがて笑顔になった。

 

それを見ていた大人たちは、たちまち幸せな気持ちに満たされ、つられてみんな笑顔になった。

その一部始終を見ていて、生まれてきたばかりの何も持たない赤ん坊でさえ、人に笑顔というものを与えることができるのだと悟る。

 

そんな話だったと思う。

 

笑顔や笑い声が聞こえる所に人は集まる。

嫌なことや辛いことが重なる時にこそ、笑顔という顔施を忘れずに機嫌よくいようと努めること。

そのうち、負の気も引き払ってしまうだろう。

 

 

自分の顔は、肉眼で確認できない。

鏡を通してしか確認できない。

 

顔を他人に向けて施しているのであれば、努めて微笑む位がちょうど良いのかもしれない。

女性は特に。

 

海辺の鉄板切り抜きアートを見て、そんなことを思い出した。

 

 

 

 

 

2018.10.29

ゆらめきのバランス

 

 

 

秋から冬にかけての設えの変更は、口笛を吹きたくなるような気分だ。

事実、吹いているかもしれない。

 

 

 

 

 

カーテンやルームシューズの取り替え、寝具の交換、トイレや脱衣所にマットやラグを出したり、クッションカバーを秋色に変えて小さなひざ掛けを出したり、テーブルクロスを掛けたり、ワンシーズンに1度の家具のメンテナンス、オイル塗りも念入りに、、、

秋晴れの日を狙って、とにかく徹底的にやる。

 

全てが入れ替わった日の夜には、静かな音楽を流しながらキャンドルに火を灯す。

キャンドルの火のゆらめきは、人間の右脳と左脳のバランスを整える効果があるらしい。

 

 

 

夏中、早起きでひとり夏時間で行動していたが、秋冬はどうしても起床も遅くなり夏のように行動できない。

自分の怠心からくるものかと思っていたが、どうやらそれは責めるべきことではなく、それが身体にとっては自然であり、かつ身体が必要としていることなのだと、ヨガの講師に教わった。

 

人間の身体も秋から冬にかけては、お休みやエネルギーの蓄えの時間サイクルになるのだという。

 

人間も動物と同じ。

冬眠の時間なのか。

ならば、今年からは

思いきり秋の夜長を堪能しよう。

少しの寝坊も許し、冬ごもりを楽しもう。

 

そう思った。

 

四季のある地に生活していてよかった。

 

 

 

 

 

 

 

2018.10.22

ガラスポットたち

 

 

 

先週末をもちまして、佐賀個展が無事に終了いたしました。

 

今回は、当初、予定していなかった期間の中日にもお伺いしました所、初めてのお客様にもお会いできてとても楽しい個展でした。

 

お時間とってお越し頂きました皆様に心より感謝申し上げます。

また、お会いできる時を楽しみに致しております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。

 

すっかり秋の気温となって参りました。

 

今年の夏はあまりにも暑すぎて、ベランダのハーブたちも瀕死の状態でしたが、この頃、再びすくすく育っております。

 

早朝ハーブたちに水やりをしながら、今夜のメニューで摘みたてのハーブを使おうと思っていても、夕方になるとすっかり忘れてしまう。

 

料理が仕上がる頃に、あああー。

と、時すでに遅し。

ならば早めに摘んでタッパーウエアに入れて冷蔵庫に入れておく、いざ調理にとりかかる。と、今度はタッパー自体を出すのを忘れる。

盛り付けも終わった頃に、わああー。

と、時すでに遅し。

 

ワタシは、おつむが弱いのかしら。

 

おつむの弱い自分のための自分による自分なりの工夫を思いついた。

 

思い立った時に摘んでしまい、蓋つきのガラスポット、キャニスターに入れて、キッチンの棚に置く。

蓋があるおかけで乾燥を防ぐ上に、蓋を開けた瞬間充満したハーブの濃密な香りを嗅ぐのも幸せ。

おまけにキッチンの棚、ここは何がなんでも目に入るでしょう。

だね。大丈夫!

自分と会話。

 

 

食べる直前に盛り付けたいものなどを、蓋してそのままテーブルに置いておくのにも便利。

食べ残しなフルーツなど蓋をしてそのまま冷蔵庫へ。

ガラスはタッパーウエアと違って匂いがしみつかないのもよし。

しかも、これは耐熱。

メイドインジャパンのリーズナブルなスグレモノだ。

 

ガラスで中が見えることと蓋があるというのは、なかなか優秀なキッチングッズです。

特に、忘れんぼの私には最適なのです。

 

まあ、ブログで語るほどではないんですけどね…。

しょぼん。

 

でも、私みたいな忘れんぼな方には、ちょっぴり耳寄り情報でしょ。

にこっ。