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2022.05.26

ロケ撮影

 

 

 

 

昨日は、下半期の個展に向けてのDMのためのロケ撮影でした。

 

福岡の今津湾岸の浜にあるクロマツが林立する美しい松原。

生の松原。

本来は元寇防塁のために博多、千代、百道、生の松原と続いていたらしいのですが都市化が進み、現在はここだけが残っているこの生の松原は、個人的にも好きな場所。

一歩足を踏み入れると、とても静かで樹齢100年を越えるクロマツが多く、ここにスッと立つだけでサマになる写真が撮れる。

いわゆる映えるスポット。

 

ここのところ、随分と整備されていて能古島を臨みながら散歩道が西の方へと伸びていて、更に雰囲気が増しているのだが告知が十分ではないのかいつもさほど混み合っていない。

 

 

 

 

今回は、この生の松原をロケ撮影地にしました。

 

ご存じの方は少ないかもしれないですが、実はDMはほとんど私自身が身につけたものを撮影してもらっているのです。

 

当初は、手の綺麗な女性にモデルをお願いしておりましたが、ある時個展会場でお客様が何気なく言われた一言で、はっとして自分の手を撮影した方が誠実な写真ではないだろうか。

若くて美しい手は、それだけで十分なアクセサリー。

でも、積み重ねてきたものが醸し出す力や美、優しさと包容力に溢れたご自身の手をもっと愛して欲しい。

そんな思いで日々作っているのに、若い美しい方の手をモデルにしてしまうとは、なんとも矛盾した上部だけの筋の通らない格好つけた仕事をしているものだと恥ずかしくなったのです。

それからというもの、指の節も男性のようで女性らしさと程遠い、柔らかさのない筋張った手ではありますが、私自身の手を撮影してもらっております。

 

 

 

 

撮影はお客様でもあるアマチュアカメラマン。

海風はとても気持ち良く、撮影は2時間近く。

途中の休憩時間には持参したポットで紅茶を入れておやつを広げて、ちょっとしたピクニック気分でおしゃべり。

遠くには風を味方にしたヨットが何艘も進む様子や海原を流れるように飛ぶ鳥たち。

ここのところ制作詰めだったので、撮影も仕事とはいえちゃっかりリフレッシュもしちゃいました。

 

下半期は、なんと気が付いたら7年ぶりという地元、福岡での個展からスタート。

7月1日からの福岡展。

どんな写真がDMに起用されたのか、お楽しみに!

 

6月下旬ごろ発送致します!

 

その前に上半期最後の個展、6月17日から佐賀展です。

やっと世の中の移動も少し自由な気配がしてきました。

ご案内は、次回に。

 

 

 

 

2022.05.15

大阪中之島美術館

 

 

 

 

 

昨日、出張の折、寄り道しまして、大阪中之島美術館に行って参りました。

3月の京都展の折にも行ったのだが、ものすごい人出でチケットを持っていなければ4時間待ちの混雑ぶりでしたのでリベンジでした。

 

大阪中之島美術館は、

「民間の知恵を最大限活用しながら、顧客目線を重視し利用者サービスに優れたミュージアム」というコンセプトを掲げている、民間事業者が経営に直接かかわるという日本の美術館としても新しいスタイルだそうです。

(公式サイトより一部抜粋させていただいております)

それ故開館までにもとても苦労も多かったとニュース記事でも以前目にしておりました。

33年前に大阪市が購入したモディリアーニの作品が、今回の特別展に繋がったそうです。

 

こんな時期とはいえ、世界中の美術館や日本国内の美術館から数多く集められておりました。

 

 

 

 

 

今年2月にオープンして、開館記念特別展として現在、モディリアーニ展が開催されております。

水都、中之島は緑豊かに整備されたエリアで美術館や科学館、高層ホテルなどが多い。

 

 

 

そんな中、ひときわ目立つモダンな箱型の建物にさわやかな植栽たちに囲まれておりまして、館内はまるでどこかのインターナショナルなエアポートのような抜け感で、まさにアートトリップした気分になります。

 

 

作品の見せ方や照明、背景となる壁の色、分かりやすい説明、分類、モダンな展示で且つ、週末ではありましたがゆったりと観ることができました。

モディリアーニと交流のあった様々なアーティストたちの作品もふんだんに観ることができて、今まで興味のなかった画家の作品に改めて魅力を感じ引き込まれるシーンが何度もありました。

 

キスリング、ピカソ、ブランクーシ、シャガール、キリコ、ユトリロ、藤田、

ヴラマンク、ルソー、マリー・ローランサン…思いがけず黄金時代の作品たちを鑑賞できて大満足しました。

 

サプライズ的な作品、世界初公開となるグレタ・ガルボのコレクションが、展示の最後に来ていました。

日本初公開の個人所蔵の少年の肖像の目には吸い込まれそうな純粋さに釘付けになり、テート美術館所蔵の若い女性の肖像には、ぐっとくるものがあり、海外の美術館で数点しか観たことがなかったモディリアーニの沢山の作品を鑑賞でき、寄り道ルートで大阪からの帰路にしてよかったと改めて思いました。

 

 

早速帰りの新幹線から友人に薦めたところ、どうやら本日の日曜美術館のアートシーンで紹介されていたとか。

 

機会がございましたら、ぜひ。

会期は7/18まで。

 

暫くぶりに美術館で美術を鑑賞したという満足感を得られました。

 

 

 

 

 

 

2022.05.12

挑戦の先にあるもの

 

 

 

 

昨日、北九州戸畑にあります国指定重要文化財、旧松本邸で行われた薔薇のコンポジション作りのイベントに参加させて頂きました。

主催は十字屋カルチャーセンター事業部さん。

 

明治の建築家辰野金吾氏の設計のアール・ヌーヴォー様式のデザインの空間にて行われたイベントで、ご縁ありまして薔薇の花のある小さなテーブルコーディネートをさせて頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

講師役を務められましたロイヤルフラワーアレンジメント正教授、O氏は、

長いお付き合いのお客様でもありますが、今回のイベントに小さなテーブルコーディネートを出されてみませんか。

と、驚きの依頼を頂きまして勉強もしていないので随分と腰が引けましたが、私の感覚で良いとのことで私物の器や小道具を一式持ち込みでチャレンジしてみました。

 

テーマは、「自分をもてなす日」ということで、季節の花、薔薇のあるテーブルで、旬の食材を日本酒で味わう夜のシーンの設定にしてみました。

 

調光できるアナログな灯、アルコールランプという日常と違うお客さまをもてなすような演出で、ご自身をもてなす。

日常使いで楽しんでおります越前塗りのお盆の上にお花の形の深めの塗り、その中にカットのきれいなガラスの小皿を重ねて、いつもと違った表情を出してみました。

塗りの艶を背景にガラスのカット模様が浮き上がり、ゆらめくランプの灯りのもとで、食す今が旬の翡翠色した空豆が架空のおつまみという想定。

 

塗りのお盆の上の食器は滑りやすいので、備後絣のハギレで作った小さなマットを敷いて、漆の気取った気配に少し温かみをさしたつもり。

 

テーブルクロスは、小倉織の縞々の特大風呂敷を代用。

おつまみは、お箸か自宅で使うために作った銀のピック(まるでいつも作っているアクセサリー的なデザインですが)どちらかお好きな方で頂く。

 

といったテーブルにしてみました。

 

静かな大人のもてなし日。

そんなイメージにまとめたつもりです。

 

 

 

薔薇の花は摘みたてでとっても良い香りがして、いけている間もしあわせな気分になりました。

お花やテーブルのレッスンを受けられた方がいらっしゃる中でテーブルを出すというのは、とても気後れしましたが、写真を撮ってくださってる方がいらっしゃって、内心ホッとしました。

 

そして、イベントの中のフラワーレッスンで仕上げた私のアレンジメントは、こちら。

 

 

フラワーベースとはまた違った楽しみ方ができるのが、アレンジメント。

何度レッスン受けても、皆さんのアレンジに学ぶことばかり。

 

実は、昨日は、誕生日でした。

ランチコースの最後のデザートの折り、さり気なく嬉しいご配慮賜りました。

 

 

 

 

 

いつもと違う別な世界を勉強させて頂き、不慣れ故、主催者の皆様や参加者の皆様に申し訳ない部分も多々ありましたが、おくさず新しいチャレンジをしてみてよかったです。

 

挑戦の先には、ヒントと気付き、そして感謝が溢れてくる。

今年も挑戦を織り込みながら、肉体と精神の健やかさを保ちつつ制作に精進したいと思います。

 

 

 

 

2022.05.01

下駄デビュー

 

 

 

 

昨年、感染者が極端に落ち着いていた頃に信州松本を訪れた。

 

少しだけ仕事も兼ねてはいたのだが、興味対象ごとが似通ったフリーランスの友人を誘った旅は一泊2日とは思えないほどの充実した旅だった。

 

 

 

 

 

 

 

信州松本に着くとまず訪れた歴史ある和菓子屋で、案内を見つけた近くの呉服屋さんに立ち寄ることにした。

呉服屋の旦那さんはとても気さくで、観光客慣れしたお話し好きと見受けられ、私の持っていた地図を目にするとすぐにおすすめのお店やお土産、美味しい蕎麦屋などなど持っていた地図に丸をつけながら、お店の名前や情報をどんどん書き込んで下さった。

 

教えて貰ったお店をほぼ忠実に見て回っていたら履物屋さんを見つけた。

 

あ。私、下駄欲しいのよね。このお店入ってもいい?

 

え?下駄?あなた着物も着ないのにいつ、どこで履くの?

ま、いいわ。入ろ。

 

友人は私の意外な提案になんだか怪訝そうだったが、豊富にある下駄の鼻緒を見ていると、友人は大興奮し始めた。

もう、お店の方の説明を被せるくらいの興奮ぶりで、お店の方と友人が同時に喋っている状態に、

ちょっと、ちょっと落ち着いて。時間まだまだあるから。

と苦笑いで制したほどだった。

 

日本人の足元は下駄だった時代から時は経ち、装いの変化に合わせて履き物も随分と多様化している。

それに伴い、体型や姿勢も変化しているように思う。

鼻緒が変わるとガラッと下駄の顔が変わる。

台に合わせると浮かび上がる表情の違いがとても楽しい。

呉服の世界はこうやって柄や色、素材の取り合わせを眺めているだけでもわくわくするのですから、着物の世界に首は突っ込んでいないとはいえ、この楽しさはまるで魔物。

いやはや女性とは困った生きものです。

鼻緒だけでなく下駄の台にも様々なスタイルがあることを知った。

 

駒下駄。

高下駄。

千両下駄。

舟形下駄。

日和下駄。

右近下駄。

ぽっくり。

 

そして台の素材、そこに塗りを施したもの。

いろんな下駄を実際に履かせて貰い店内を歩いてみた。

木の質感が素足に心地よく、下駄によっては足の筋肉の使い方が靴とは違いぎこちなくなった。

音もよい。

表の石畳の道を小走りしてみたくなった。

わあ、面白いなあ。

 

相変わらず、友人はきゃあきゃあ言いながらこれもいいな、あれもいいな。それもいいね。あなたどれにするの。と、目移りして大騒ぎ。

結局、友人は馬の毛で織った品の良いオフホワイトの鼻緒を選んだ。

お茶会の時に履くのだそうだ。

 

私はと言いますとあれこれ迷った挙句、鼻緒は深い茜色の図柄のもので、台は右近下駄で、なるべく白めの木肌でリクエスト。

前坪は赤でお願いしまして、履き慣れないから滑り止めも張ってもらうことにしました。

 

1時間後くらいにもう一度来てくれたら鼻緒すげときますから、松本の街を楽しんでください。

 

と履物屋の女将さんが笑顔でご挨拶してくださった。

 

お店を出ると、入る時とは真逆の興奮状態の友人が私に尋ねた。

 

ねえ、浴衣持ってるの?いつ履くの?

 

夏になったらきれいめのワンピースにミュールじゃなくてあえて下駄で合わせたいんだ。

軽いから旅先に持って行っても、ホテルの部屋で履けるしいいと思わない?

 

ああー、いい!それ!

私も真似しよっ!

 

1時間後、鼻緒がすげられた下駄は、なんとも優しさと清潔な感じが漂っていた。

 

私たちが店を出た後、女将さんが二足とも鼻緒をすげたらしい。

これまでは鼻緒は旦那さんがすげていたらしいのですが、大病をして入院しお店に立てなくなったので女将さんがひとりでお店を切り盛りしながら少しずつコツを覚えて、すげられるようになったという。

おかげで早くなりましたよ。

たくさん履いてまた次に松本来る時、下駄持ってきて好きな鼻緒を選んだらいいですよ。

またすげてあげますから。

 

色白で華奢だけれどもちゃきちゃきの女将さんが、笑顔で私たちを送り出してくれました。

 

やっと履ける季節になってきました。

下駄デビュー、間近です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022.04.28

今日という夕どきの空

 

 

 

 

随分若い頃に見た映画でタイトルは忘れてしまったのだが、あれは確か香港映画だったように思う。

 

主人公のカメラマンが漸く世間に認められて活躍し始めた頃、最愛の人がある日突然、交通事故でこの世を去る。

いつものように其々に仕事に向かうため交わした朝の挨拶が最期となる。

あまりにも残酷な現実をまるで消し去るかのように、過剰なほどに仕事を請け負いカメラマンとしての知名度は益々上がってゆく。

 

そんな生活の中、ふっと甦る再び会うことのできない最愛の人の笑顔が脳裏に現れて、たまらないほどの寂しさに押しつぶされそうになる。

日増しにその頻度が増えて、仕事のバランスを欠くほどになり、主人公は寂しさを乗り越えるために、無性に思い起こされる時は空の写真を撮影するようになる。

撮影した空の写真のフィルムを詰めた缶が、溢れそうに溜まった数年後、最愛の人の名前をタイトルにその空の写真の個展を開催するシーンがエンディングだったように思う。

 

ストーリー自体は、大きなクライマックスもない淡々とした感覚だったが、空を見ていると誰かをふと思い出すことがある。

その心理というものは、言語や文化を越えてどんな国の人間も同じなのだなあと感じたものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうひとつ気づいたことがあった。

その映画の中に出てくる空の写真は、ほとんどが雲のある写真だったのだ。

そうか。

絵になる空というものは、雲があった方が圧倒的にサマになる。

もちろん、心情的にはピーカンの空の写真は不釣り合いな演出ではあるという理由もあったかもしれない。

ストーリーは別な話としても、雲ひとつない青い空がイチオシなイメージで得をしたような気分になるものだが、空をドラマティックにするのは、実は雲という存在なのだ。

真っ赤な太陽が地平線に溶けるように沈む姿よりも、太陽の姿は見えないが

確実に落ちてゆき、変化する光のスペクタクルとの即興がまたとないライブショウとなり、人の心を沈静させてくれる。

 

思い出したくないこと。

忘れたいこと。

それらがあるから、今が輝く。

 

最近、夕どきの空、見ましたか…