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2020.07.29

花の命は短くて

 

 

 

 

先日、お客様でもあるフラワーアレンジメントの講師のO先生のレッスンに友人と一緒に参加させて頂きました。

 

部屋に飾る花と違い、アレンジメントは実際にやってみるといろんな目線を同時に働かせなければまとまらないということがよく分かりました。

そういう意味では、私のやっていることと近く、出来上がりが見えるという力が仕上がりに大きく影響すると思いました。

O先生の準備される花材は好きに刺すだけでとてもシックで大人の雰囲気になります。

 

 

 

 

 

どんなものでもそうですが、出来上がったものを見て自分にも出来るかも。と思うものでも、実際に材料選びからとなると、これが案外出来そうで出来ないものです。

好きな花だけを選べばよいというものでもないし、色のバランスだけでもない。

まずその時点でできる方との開きが出てきます。

お隣にいらっしゃった方は、キャリアのある方でしたが手の動きがとても早く、迷いがない。

出来上がるとやはりその方のイメージととてもリンクしていて、ああ、なるほどなあ、面白いなあ。と、見入ってしまいました。

 

豪華で珍しい花材で仕上がったアレンジメントは、自宅に戻りましたら我が家のあちこちに分散させて活けなおしました。

 

 

 

 

ラトビアのアンティークのブリキのマグカップをフラワーベースに見立ててて、ダイニングテーブルの上に。

 

 

 

 

 

竹製塩かごが花籠に変身。

山で摘んだ野草のイメージで、出窓のそばにゆらゆらと吊り下げて。

 

 

 

 

 

蒸し暑い夜が続くので最近は爽やかな香りのキャンドルを夜焚いているので、その隣になんとなく涼しげなキリッとした雰囲気が生まれました。

 

 

キッチン、脱衣所、寝室の出窓、リビングの出窓、リビングのコーナー、食器棚のオープンスペースなど合計10箇所に飾ることができました。

 

しばらくぶりに生花の香りに包まれてしばらく贅沢な気分を味わえます。

 

花はいずれ枯れる。

故に、妙なり。

 

 

実用性だけではない、贅沢だといわれるものには、金銭ではない買えない豊かさとエネルギーを人の心に与える力があると改めて思えました。

 

それぞれの花の命が尽きるまで、フラワーベースを変えながら少しでも長くたのしみたいと思います。

 

明日には福岡の梅雨も明けそうです。

全く違う世界に触れるのもとても楽しいものですね。

 

 

 

 

 

 

2020.07.17

アクセサリースタイリング vol.12

 

 

 

 

7月のアクセサリースタイリングのご紹介は、大ぶりのバロックパールのパワーについて!

 

このネックレスは、ヘップバーンというタイトルがついています。

そう、誰もが知るあの女優、オードリーヘップバーンです。

 

 

 

 

実は、私がラシックコンサートやオペラに行く時の定番スタイルが、これそのものでして、バングルとリングやマニキュアが演目などで変化するのです。笑。

 

インターミッションにホールで何か飲み物を飲む時には、下がりパールは背中に垂らすのもよいと思います。

背中に自分自身の意識が向くということはとても大切でして、自分自身で見ることはなかなかできない後ろ姿を他人様は常に見ている。

 

そのことをちょっと思い出せてくれる。

 

装いの中でも黒のきちんとしたレストランでの食事シーンやとっておきのコンサートや観劇などなど。

そんな時に合わせるアクセサリーをひとパターン持っていると、いざというお誘いにも服はどうしよう?

アクセサリーはどうしようと慌てなくて済みます。

なによりも慌てて買ってしまったものを一度しか着なかった、使わなかったというお買い物は一番避けたいものです。

 

特に少し大ぶりのバロック真珠は、そんな時にはひけをとらない気品さのようなものも兼ね備えています。

加えて、年齢を重ねるほどにバランスがとれてくるのが、バロックパールの

魅力のひとつです。

 

服の新調も決して悪くはないですが、バロックパールを使いこなしてゆくチャンスと捉えるのも悪くないですよ。

 

最近、しきりにクラシックコンサートに行きたいと思う日々であるのです。

ああ、早く、生の演奏が聴きたい!

その時には、ちょっと涙ぐむかも知れない…

 

今回使用したアクセサリー

 

ヘップバーンネックレス

パールバングル

白ぷつピンキーリング

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020.07.06

梅雨の晴れ間に

 

 

 

 

昨日の朝に蝉の声を聞いた。

 

もうじき梅雨もあけるだろうが、すごい量の雨が九州を襲っている。

毎年、こうも大雨が降るとあちこちで被害の復旧もままならないうちに、次の梅雨の時期がやってきてしまう。

 

異常気象が続くためか、これまで蓄積したデータによる雨雲の発達の予測があてはまらなくなり、難しくなってきたのだろうか。

 

雨季は豊かな作物のためには必要な季節でもあるが、生活している地域への雨の被害は極力少なく留められるように、整備があちこちで必要なのかもしれない。

 

被害を受けた多くの方々に、お見舞い申し上げます。

 

 

 

そして、梅雨が明けて穏やかな晴天に恵まれる日常が一日も早く訪れますように。

 

 

 

 

 

コバルトブルービーチを背景に咲く、はまゆう。

梅雨の晴れ間に。

 

 

 

 

 

 

 

2020.06.23

素材収集

 

 

 

梅雨入りしたものの、30度越えの日が続いたり、積乱雲が見えたりの日々である。

 

雨の心配がなく3時間ほど時間が確保できそうならば、お茶は青空の下で。

女性は日中自転車なんかこいでると間違いなく日焼けします。

でも、青空の誘惑には勝てない。

 

本日は、お気に入りのサイクリングコースで素材になりそうなものを撮影したものをまとめてアップしてみます!

 

 

 

 

 

橋。よくみると凝ったデザインだ。

誰も注目していない。暑いから?

 

 

ほんとうは、青い観覧車。

眩しすぎて色が飛んでます。空ももっと青かったはず。

 

 

 

 

背景に障害物がないと、街灯もスッとしている。

マドラーみたい。

冷たい飲み物が目に浮かび喉がなる。

 

 

 

 

見上げる都市高速。

車が通らないショット確保まで撮影し続けた。

 

 

 

マツポックリシルエット。

 

 

松の木シルエット。

帆を下げて遊泳するヨット。

今から上がるのかな。

 

 

 

 

蓮池の池面を覆い尽くした蓮の葉が風に揺れる様は、まるで翼を広げて飛び立ちそうな豪奢な鳥のようだった。

現在、最も見応えがあります。

 

 

さあ、いつかこれらの素材がデザインへと反映されるまでしばし待とう。

 

 

 

2020.06.18

静けさの前後

 

 

 

 

気嵐。

という現象をご存知でしょうか。

北海道の方言という説もあるそうですが、「けあらし」と読み、気象用語としては蒸気霧と云うらしい。

 

私が初めて見た気嵐は、初日の出が目的の身を刺すような冷たさの早朝でした。

海面に現れる霧が湯気のようにゆったりとたゆたう様は、あまりに幻想的、且つ優美な動きで、打ち寄せる波の音が小さくかき消されるほどの静かな存在感があった。

 

 

 

 

 

 

この気嵐は、北海道や東北の寒い地方でさまざまな条件が重なった時に目にするらしいのですが、幸運なことに私は故郷の鹿児島で、今年、初日の出を拝む寸前に偶然見ることができた。

 

手袋を外してスマホで撮影する指先がすぐに冷え切ってしまい、なかなか指先を認識せず撮影がスムーズにいかなかったが、海面から太陽が顔を覗かせるぎりぎりまでこの幻想的な海面のショウを見れたことは、初日の出を見れたことに更なる特別感を加え今年1年の慶が約束されたような気分であった。

 

釣りが長年の趣味である父親にこの現象のことを尋ねたが、見たことがあるが名前については知らないということだった。

後に気嵐であると分かったのだが、ふいに龍が姿を現し、早朝の美しい海面を悠然と這うように動いているようにも見えるこの蒸気霧は、神秘的ですらあるというのに、なぜ嵐とついたのだろう。どうしても結びつかない。

 

日本人のルーツ縄文人たちが生きていた頃には、気象学も解明されてなく、地球や宇宙の概念がまだなかったので、時折やってくる気象現象が八百万の神の怒りだろうか、何かの前兆だろうかと随分と恐れられたらしい。

 

その恐れを鎮めるために、祈祷をあげたり崇めるための形を土器でたくさん作ったのではないか。

 

そのようなことを美術書で読んだ記憶がある。

 

今は、竜巻がおきたりひょうが降ったり、台風が列島を縦断しても必要以上に恐れる人はいない。ある程度の予測ができる。

もちろん、それによる被害を受けることに関しては警戒はするが、それらがどんなものかは専門家達が既に解明してくれて知識として知っていたり、既に経験したりしているので回避できる術がある。

 

初日の出と気嵐を見た睦月はとても気分が良かったが、翌月の後半には、経験したことのない

ことが我々を襲い生活様式に変化が出た。

解明されないものには、恐れがつきまとう。

恐れは人の心にとりつくと増幅をやめない。

今は、縄文時代ではない。

あまりに恐ることは、心を疲弊させてしまう。

落ち着きを取り戻そう。

そう、言い聞かせながらふと思う。

 

お正月に見た気嵐。

あれは、

嵐の前の静けさ。

だったのだろうか。

 

そうであるならば、あとは専門家達に委ねて、嵐の後の静けさを待つばかりである。