INFORMATION

2020 November

2020.11.25

祈り

 

 

あと1週間で霜月も終わります。

 

 

 

 

 

 

性格的なものなのか、世でいうところの

ストレスというものをあまり自覚できないタイプではありますが、さすがに今年の出来事は、ストレスを受けているという認識するシーンが幾たびかありました。

 

でもそれ以上に、日常を送れることへの深い感謝の念を抱く時間を与えられました。

 

異国に行くと、自分の持っている当たり前が通用しないことが殆どである。

一人旅をすると、自分なりの常識と対極にある非常識。

たびたび面食らいながら、改めてこれまでの私の当たり前は、鋳型のようなものだったな。

それもありかもしれない。

そんな気分になってくるのである。

 

今年、経験したことは、だれしも去年までの当たり前に三行半を突きつけられたようのもの。

 

でも、こんな経験がなければ今住む自分の場所がどんな国でどんな場所で、そして自分がどんな人たちに囲まれているのか、見つめ直す時間を改めて取れなかったかもしれない。

 

想定外にやってきたこの時間の中で、いろんな意味での省みる思いも膨れがりました。

 

2020年も、あと、1ヶ月とわずか。

 

どうか悲しみがこれ以上増えないことを祈るばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

2020.11.14

戻るべき場所

 

 

 

 

ここのところ秋晴れが続き空の下を感じるだけで幸せな気持ちになる。

先月からトレッキングを再開した。

 

 

 

 

若い頃には見つけられなかった趣味というものを、人生折返しの年齢になってからやっと掴んだ。

こんな仕事をしているせいか、アウトドアが似合わないように思われがちで、自転車を始めた時にも自転車に乗れるのか?と言われた位だった。

 

人は、仕事を取り巻く環境などから形成されやすいので、仕事を通して出会う人は、特にその人の大半を分類化してしまいがちなのだろう。

型にはめやすいという傾向にある大人の感覚は、否めないところである。

 

人の持つ意外性というものに私は興味がある。

自分自身も他人に意外性を与える人間でありたいと、こっそり思ったりしている。

 

山で出会う再び会うことのないかもしれない人と、登山口や頂上で話す機会は非常に多い。

共通した目的を持った初めて出会う人々。

その共通意識下というものが理解できるからか、出会う人々はとても清々しい方々ばかりだ。

 

苛々したり、不機嫌な方なんていない。

見せてくれる自然の姿が、全ての負を吸収し浄化してくれるという信頼と安心感に包まれるからだろう。

 

先週は大分県別府市を一望できる鶴見岳を訪れた。

紅葉の絨毯を踏みしめながら、吹き抜ける風やゆらめく太陽の光に、心がどこかそおっと帰るべき場所にゆっくりと深く戻ってゆくような気持ちになった。

あの感覚は、どんな人も必ず持ち合わせていると思っている。

人間は、個であり、戻るべき場所がありその場所に時折沈黙と共に深く戻る時間が必要なのではないだろうか。

どんなに自分の感情や思いをコントロールできる人であっても、周囲や雑念に引っ張られおりがたまるようにして、ささくれ立ってくる時がある。

 

それらをどんな手段で手放すか。

それが、いわゆる趣味というものなのではないかと思ったりしている。

 

その趣味も、若い頃はがむしゃらになって本末転倒な状態になったりする、自分のレベルが客観視できるようになった年齢だからこそ、ゆったりと構えられるのかもしれない。

自分はこんな楽しみ方で進めよう。

そんなスタンスが程よいあんばいで、長く続けられるのではないだろうか。

 

何かを始めるのに遅いということはない。

寧ろ、多少遅いくらいが見える角度も広がり、自分自身の過去の経験とのリンクや発見、気づきが豊富になるのではないか。

 

そんな気がしている。

 

そうやって、興味を持たれる方には、トレッキングを薦めている次第である。

 

 

 

 

 

2020.11.04

朗読パフォーマンス

 

 

 

今年はコンサートに観劇、ずっとお預けだった。

気がつけばもう11月。

 

 

 

 

 

昨夜、久しぶりに観劇のチャンスを得て、

森山未來の「見えない/見える」ことについての考察。

朗読パフォーマンスに行った。

 

 

演出、振付、出演、全て森山未來ひとりでこなす朗読パフォーマンスは、会場で1人ずつ片耳用のイヤホン付きの音声ガイドが与えられ、右耳から聞いた情報が脳に与える役目、左耳から聞いた情報が脳に与える役目、それらを踏まえた上で好きな耳にそのイヤホンをつけながら、照明演出やスピーカー、朗読、間に入る森山未來のしなやかなパフォーマンスを体感しながら、見えない/見えるについて考察する。

 

そんな新感覚の観劇を体感しました。

内容は、深い哲学的なメッセージを濃厚に残すものでしたが、視覚に頼りすぎる昨今のダイレクトな見るという感覚、そして五感上での視力、視覚の話ではなく、自分自身には見えないが他人には見えるという認識上の視覚。

 

理解するのは、とても時間を要するような難解さでしたが、

日常の中でちらちらと意識している見る、見える、見えないということへの違いについて、アプローチがぐっと深まる機会を得ました。

 

 

ベースとなったジョゼ・サラマーゴ著の「白の闇」とモーリス・ブランショ著の「白日の狂気」。

 

時間をとって読んでみようと思いながら帰宅した。

 

 

コンサートに観劇、映画、早く自由な選択ができる時が来て欲しいものです。

人間には必要な時間であると思うのです。