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2019 July

2019.07.13

バカンスにつきブログおやすみ

 

 

やっと仕事がひと段落しまして、

週明けからしばらくぶりのオフバカンスに行って参ります!

 

行き先は、スロベニアとドイツミュンヘン。

いつもひとり旅なのだが、今回は親しくさせて貰っているキャンドルアーティストの友人と一緒。

 

 

 

 

 

若い頃は、美術館巡りでクタクタになっていたが、この頃ではその日気が向いたら…そんな旅に変わってきた。

とにかく公園のスケールが日本と違い、散歩がやたらに気持ちよい。

植栽されている木や植物も気候が違うと色も違うし、種類も珍しく、

民家の庭の様子や門扉のデザイン、歩いているだけで頭の中がリフレッシュしてゆく。

日本の街は、看板やネオンサイン、音、とにかく店内では構わないが、街にはみ出しているものが多すぎて、その上道が狭く人も多い。

いや多く感じるのだろう。すれ違うだけでどこか殺気立ったピリピリ感が伝播するのか非常に喧騒がくたびれる。

まあ、地図を見れば分かるが国土面積があんなにちっこいのだから、当たり前といえば当たり前で。

むしろ、大陸つながりでもない海に囲まれたこの国が、ここまで発展していることが驚異だ。

異国へ行くと毎回他人事のようにしみじみ感じる。

 

私は、滞在中にお気に入りのカフェを決めて、朝、行動開始する前に必ず立ち寄る。

何日かすると、カフェの店員がなんとなく覚えてくれ、にこっと笑ってくれ、話しかけてくれる。

街の住人になったような気がしてちょっと嬉しい瞬間だ。

日本でも出張先で同じように決めたカフェに毎朝寄るのだが、覚えてくれてることはあっても、にこっと笑い、話しかけてくれることはほぼない。

国民性か。

コミュニケーション力の違いか。

もう、これもAIが対応するようになるのか。

世界中そうなってしまうのか。

 

 

そうやって、1日をスタートさせて地下鉄や電車を乗り継いでいろんな街に行って、宿に帰りもいちど地図を眺める。

もいちどガイドブックを読み返してみる。

 

なるほどね。

 

と。

普通ガイドブックで下勉強してから行くものだろうが、

ちょっと変な旅のスタイルかもしれない。

 

 

日没が日本より1時間以上長いので、クリエイター同士の目線で、旅を満喫し有意義に過ごしたいと思っているところだ。

 

帰国しましたら、旅の写真アップします!!!

行ってきます!!!

 

 

 

 

 

 

2019.07.08

シアワセフルーツ

 

 

 

 

古い友人が福岡に突然遊びにやってきた。

若い頃からの友人というものは不思議なもので、時間が一瞬にして戻る。

近況を何にも知らなくとも、根っこの部分を捉えているからだろうか、一から十までの経緯など何にも説明が要らない。

でも、話はどんどん進められる。

付き合いが浅いとそうはいかない。

付き合いが長くなると近況はただの通過点、出来事でしかないからなのだろう。

 

 

 

 

生活環境は、変化しても人としての根っこはそう変わらないものだ。

その変化しない部分をベースに時間など飛び越えて話が盛り上がる。

 

名残惜しそうに帰って行った彼女の背中を見ながら思った。

 

 

思考は環境とともに変化するが、人の持つ本質はそう大きくは変化しない。その安心感が若い頃からの友人との付き合いを独特の時間軸で、頻繁に会わずとも強くする。

 

先日もスーパーで実に10年ぶりの再会があった。

 

昨年あたりから古くからの友人知人との再会が頻発している。

あの頃の自分を知っている古い友人、知人は、総合的な意味で自分を客観視できるよいチャンスだ。

 

 

後日、友人の地元の有名な立派なマスクメロンが届いた。

 

いくらフルーツ好きとはいえ、こんな立派なメロンは買って食べることはできない。

頑張ってもカットメロンだ。

食べごろは2日後だという。

思わず興奮した!

好きな大きさにカットして食べれる!

あれをやってみよう。

ひとり、にやりとする。

お行儀はよくないが、スイカのようにかぶりついて食べてみたのだ。

したたり落ちる甘い果汁の匂いと、果肉の程よい食感。

こんな贈り物って人をかなり喜ばすなあと思った。

しかし、ふと思う。

私がフルーツ好きって知っているからこんな選択肢になったのか。

 

相手が喜ぶことが何かを知っている。

そのことがことさらに胸にしみた。

 

 

 

 

 

2019.07.02

よこたわる孤独と沈黙

 

 

 

 

夏には、おおきな木はおおきな影をつくる。

影のなかにはいってみあげると、周囲がふいに、カーンと静まりかえるような気配にとらえられる。

 

おおきな木の冬もいい。

頰は冷たいが、空気は澄んでいる。

黙って、みあげる。

黒く細い枝々が、懸命になって、空を掴もうとしている。

けれども、灰色の空は、ゆっくりと旋るようにうごいている。

 

冷たい風がくるくると、心のへりをまわって、駆け出してゆく。

おおきな木の下に、何があるのだろう。

何もないのだ。

何もないけれど、木のおおきさとおなじだけの沈黙がある。

 

 

詩人 長田弘 「おおきな木」一部略より

 

 

 

 

 

日本には、ご神木という言葉があるように、立派な木を見ると多くの人が意識せずとも静かに深呼吸をするものではないだろうか。

 

時間や心を次々と奪われてしまうような日常。

油断すると月がどんどん変わり、季節が変わってしまったことに街ゆく人々の装いや、ショウウィンドウのディスプレイで、はたと気づかされることがある。

 

君には何万年時間が用意されているつもりなんだね。

 

人生の大先輩が、友人に言った言葉らしい。

 

私は、その時、お会いしたこともないのに、その方の言葉を直接耳にしたような気になったのを今でもはっきり覚えている。

 

樹齢何百年、何千年、木は全てを見て聞き知っている。

そんな気になるからだろうか。

おおきな木の前に立つと、時間の概念を超え、心静かに深呼吸をする。

 

そして、そこに横たわる孤独と沈黙に包まれる。

 

それは、決して寂寥の想いではない。

 

私にとって、海とは全く違う種類の感覚だ。