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daily life

2020.02.22

等しく与えられる自然美

 

 

 

 

AM 11:05。

この快晴は逃したくない!と、しばらくぶりのソロ登山。

なぜかいつもより早めに目的地まで到着する。

おそらくおしゃべり相手が居ないので、もくもくと進むからなのだろう。

 

行き交う登山者たちも、案外ソロが多いものだ。

 

 

 

 

 

 

 

折り返し目的地近くの林道。

それまでリズムよく歩いていた歩調を緩めて立ち止まる。

ここでは、背の高い杉の隙間からその日で一番高い位置から太陽がキラキラと覗くので、いつも頭上高くを見上げて深呼吸する。

なんとなくの私の決まり事。

 

ふうむ。はあ〜。

この瞬間が最高に心地よい。

もやもやなことや、遅々として進まない諸々の状況も一気に手放せる。

等しく与えられる自然美。

ありがとう。

心がにこにこマークになる。

 

そしてこのエリアは、太陽の角度なのか木漏れ日がとても魅力的なスポットが多いのも、歩調を緩めるひとつ。

 

ハワイで撮影出来そうなショットが撮影できた。

正午前の陽射しが重なり合う植物たちにも等しく与えられ、素敵なシルエットを落としていた。

 

 

撮影がうまければもっと素敵なショットが撮れるのだろうにと、思いながらあちらこちらの木漏れ日スポットを堪能してふらふらと寄り道しながら折り返し目的地まで辿り着く。

 

折り返し地点で小1時間ほどランチと休息をとって再び同じ林道を歩いたが、あちこちの木漏れ日スポットたち、すこし先ほどと雰囲気が違って見えた。

 

やっぱり、刻一刻と時は進むんだなあ。

今、この刻を味わい尽くせるように生きなきゃな。

 

そうやって、小さな温泉街でちゃぽんとお湯につかり帰宅したのであった。

 

 

 

 

 

 

2020.02.10

雪山の美

 

 

 

 

 

行ってみよう。

やってみよう。

 

何事も百聞は一見に如かずである。

そして、初めての体験というものを出来、不出来に捉われず楽しむこと。

 

これは、私自身が大切にしていることでもあり、迷ったときの呪文のようにしている。

 

 

 

 

 

まだまだ初心者ではあるが、トレッキングを始めたときからなんとなく、装備もあれこれ必要だし低体温症だし、雪山はやめておこうと思っていたのだがもうずっと天気が優れずトレッキングに行けないのもあり、ちょっと行ってみようか。というノリで雪山を初体験した。

 

 

 

 

 

 

 

 

チェーン規制のある道のりをいつもよりゆったりと進みながら向かったくじゅうの登山口駐車場。

到着してまず驚いた、既に満車。

道中も途中からがらっと変化した景色にテンションはすっかり上がっていたが、秋に来たときとはすっかり景色も登山客の様子も変化して、行き交う登山客のアイゼンをはめたトレッキングシューズの音が益々私の心をワクワクさせた。

 

こんなにどっぷりと雪景色だとは思っても見なかった。

土などどこにも見えなかった。

映画の世界か小人になった自分がパティシエの作るお菓子の世界に迷い込んだような美しさだった。

 

旅は割にあちこち行ったが、街中に積もった雪は見たことがあっても、作られた観光名所のようなものではなく、自然の雪山がこんなに美しいものなのだとため息が出るばかりだった。

数ヶ月前に登山途中に見た景色が、すっかり違って見えた。しかし、確かに歩いたコースだった。

 

 

 

 

 

すれ違う登山客たちとブレイク中に話をしてみると、実に全国から来られている。一眼レフを持った登山客が秋よりもかなり多く感じた。

少し歩いて立ち止まる、またすぐに立ち止まる。

前を行く一眼レフを持った見知らぬ男性登山者が、後ろを振り返り、すみませんねえと私に苦笑いした。

 

全然、気にしないでください!

気持ち分かります!次に撮影出来るとは限りませんよね。

 

そうなんですよ。

いやあ、今日は、最高だあ。

 

 

 

 

 

 

 

雪山は空が青ければ幸いだが、冬山はどんどん雲が流れ霧やもやがかかりやすくグレーな天空だが、地面は積もった雪で白く明るい。

 

山岳小説などで幾度となくイメージした雪山だったが、体験はやはり強烈だ。

 

生きててよかった。

なぜかそんなことを思った。

 

まだまだ知らない美しいものたちがいっぱいいっぱいあるのだと思うと、体感できる肉体を持ってこの世に生きていることが、とても愛おしくなった1日だった。

 

 

やってみよう。

行ってみよう。

 

シンプルに行動することをこれからも続けてゆこうと思った。

いつの日か貯蓄されたシンプルなやってみた、行ってみた、が、私の中の何かを支える日が来るかも知れないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020.01.29

迷子

 

 

 

先日、東京行きのフライトで機内誌に掲載されていた伊集院静氏のエッセイを読み、思い出したことがあった。

 

 

 

2年ほど前のこと。

そうか今日はクリスマスか。

夕刻、外出先から帰宅途中に気がついた。

ということは今年もあと1週間で終わりなのか。そんなことを思いながら自宅マンションの近くの小さな横断歩道の手前を通り過ぎようとした時、ふと視界に小学生位の女の子と目があった。

 

女の子は、私と目があった途端、顔をくしゃくしゃにして今にも泣き出しそうな顔になった。

 

 

 

 

どうしたの。

今まで我慢していたのだろう。

大人に声をかけられてほっとしたのか、一気にしゃくりあげながら泣き出した。

おうちはどこ?

お母さんがいない。

ここで待ってなさいて言われた。

妹が熱が出たから、病院に行った。

バレエのレッスンが終わったらここで待ってなさいって。

 

 

女の子の断片的な話をまとめると、彼女は自宅マンションの駐車場で母親と待ち合わせをしていたようだ。

妹が熱が出たので3人で病院に行ったけど、順番が回ってくる間に彼女の習い事バレエの時間になり、ひとりでレッスンに行き終わったら、病院から戻った母親と妹がマンションの駐車場で待っている予定だったようだ。

しかし、病院が長引いたのか母親も妹もいなくてマンションの鍵がないから部屋にも入れない。

おうちの電話番号も母親のケータイ電話番号も分からないという。

 

冬の夕刻、あたりはどんどん暗くなっていた。

さぞ心細かった事だろう。

 

病院にもう一度一緒に行くことにした。

女の子は少し落ち着きを取り戻した。

 

象さんの絵の病院だよ。

道は分かる。

女の子が歩きだした。

 

病院に着いたが、母親も妹も居なかった。随分前に帰ったようだった。

病院の受付の方に自宅や母親のケータイに連絡してもらったが、電話に出ない。自分のケータイ番号をとりあえず知らせて病院を後にした。

あたりは真っ暗だった。

もう一度待ち合わせ場所に戻って、しばらくして来なかったから、寒いから我が家で連絡があるのを待った方がいいかな。

 

そんなことを考えながら女の子を最初に見かけた近くまで来たら、女の子がちょっと落ち着いた小さな声で

あ!お母さんだ!

と、呟いた。

 

小さな横断歩道を渡ると、妹をベビーカーに乗せたお母さんが

 

ああああああ、ごめんね。ごめんね。もうどうしようと思ったのよ。

 

母親は女の子と私を交互に見ながら、泣きだした。

胸が張り裂けそうなくらい心配して心配して、我が子を見た途端、力が抜けるほどほっとしたのだろう。

声もうわずりながらしどろもどろで私にお礼を言う母親の顔を見ていると、母親の経験はないが、なんだか分かる気がして思わずもらい泣きしてしまった。

 

 

 

機内誌のエッセイの内容は、伊集院氏の子供の頃、父親の仕事が終わるまで動物園で時間を潰し閉園になったらベンチで待っているように言われて待っていたが、なかなか父親が迎えに来なかった。

なぜか、自分は捨てられたのかもしれない。

そんなことを思った。

 

そんな内容だった。

 

子供の時分には、不思議とそんなふうに思うことがあるものだ。

 

きっと、女の子もそんな気分になっていたのだろう。

自分が待っていることに誰も興味を示さず通りすがるひとたち、あたりは日が暮れてどんどん暗くなる。

子供にとって、夜、暗くなってくると不安は倍増だ。

 

街のマンション暮らしとなると、お隣さんで子供をみててもらうと言うわけにもいかないし、マンションもオートロック、自宅玄関にも辿り着けない。この頃の子育てもなかなか大変なものだなあ。

 

子供は子供で、知らない人についていかないようにと言われているだろうし、私もあのまま母親と会えずに自宅に連れて行ったら誘拐犯として疑われたりしたのかも。

 

子供だけではない、大人も不安や心配、面倒さが溢れる世の中で生きている。

迷子の多い時代になったのかもなあ。

 

 

 

 

 

 

2020.01.15

ポルトガル旅譚その3

 

 

 

街のあちこちで目にするアズレージョも素晴らしかったです。

こちらがポルトのサンベント駅。

ぐるりのアズレージョは圧巻でした。

駅に着いたのに、あまりに素晴らしくなかなか駅から出れずにポルトの滞在時間がどんどんおしてしまったという。

 

 

こちらは、教会。

 

 

 

 

そしてガイヤ地区にあるかのポートワインのワイン畑。

できたポートワインの樽をかつてはこの船で向こう岸に運んだらしい。

 

 

 

スイーツはどれも甘すぎずとってもホームメイドに近い味で、信じられないくらい安い!

ポルトガルは基本がオーガニックなものばかり。だから安心して食すことができるものばかり。

しかし、ボリュームが半端ない!

 

 

 

こちらはエッグタルト、ナタで超絶有名な創業1837年のリスボンのベレン地区のパステル・デ・ベレンのパステル・デ・ナタ。

すぐ近くに鎮座するジョロニモ修道院からの配合と作り方を守り続けているナタ。

ここは、人生で訪れたカフェで未だかつて知り得ないほどのおそろしく広いスペースで、座席数も半端ない。店内は迷路のようでした。

しかも、観光シーズンでもないのにほぼ満席!

夏のバカンスシーズンは道路はぐっちゃぐっちゃにごった返すそうだ。

確かに、よそのナタとは全く違ったのです!

通訳業の友人はにこにこしながら私は2個食べるわと注文。

納得。これ、2個は全然平気。外はパリッパリッで中は焼き立てであったかいのです。そして、甘すぎない!

 

当店にナタはございません、パステル・デ・ナタでしたらございます。

と、パステル・デ・ベレンのスタッフが言ったとかなんとか。

 

 

 

 

そして、こちらはジョロニモ修道院です。

こちらもかつてヨーロッパのあちこちで見た修道院の中でもすごいスケールで驚きました。

この修道院の前には、かつてポルトガル歴史の黄金時代、大航海時代にエンリケ航海王子率いる数々の船が出航した場所、発見のモニュメントがあります。

モニュメントの広場には、足元に世界地図のモザイクがありました。

大航海時代に発見された多くの大陸の年代が記入してありましたが、日本は1541年となっていました。1543年と覚えたような気がするんだけどなあ。

サバ読んでるのかなあ?私の記憶が間違っているのかなあ?

 

ここから出航した船のひとつが我が故郷鹿児島県の種子島に漂着したというわけですね。その頃、日本は戦国時代。この時、種子島に鉄砲なるものが伝来されて、戦いのスタイルが一気に変わったというわけですね。

加えてキリスト教も布教されていき、統率ができなくなり、鎖国、開国、明治維新、といった流れになったわけですね。って、これ正しいかな?汗。

 

手前の教会には、教科書でお勉強しましたバスコ・ダ・ガマが眠っています。

 

 

 

以上、ポルトガルの旅譚でした。

 

さあ、今月も月半ば。

ポルトガルで体験した諸々を咀嚼していつか形になってくれますように。

と、私が私に願う次第である。

 

 

 

 

 

 

2020.01.15

ポルトガル旅譚その2

 

 

 

 

ひきつづきポルトガル旅のお話。

ポルトの路地裏ショット。

 

 

 

 

 

 

 

太陽の位置でどんどん表情を変えてゆく石畳は、どこでも魅力的で懲りもせずあちこちで撮影しました。

 

 

 

 

 

雨が降ると大変に滑りやすいので、ポルトガルには石畳の坂道を歩いても疲れにくく滑りにくい靴のメーカーが沢山あるらしい。

 

 

旅人には魅力的に映るものも実際に生活するとなると、不便な面も沢山あるわけで…

 

それでも移り変わる石畳の表情をみているだけで、太陽がこんなにずば抜けた演出家であると改めて認識した次第である。