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2023.07.09

手芸に救われるいつかのために

 

 

 

降ったり止んだりの変則的な天気に気分が引きずられ気味。

週末も警報が出ている。

気分転換に…

そうだ。

しばらくぶりに縫い物をしよう。

 

 

3年前に緊急事態宣言が福岡は全国でも早くに出ると決まった時、以前から興味のあった刺繍を始めようと手芸屋に行った。

始めると糸の色の組み合わせだけでも楽しくて、目や肩の疲労を忘れて夢中になった。

のちに今の住まいに引っ越したり、生活の時間配分も変化したこともありなかなか気持ちに余裕が出ずに向き合えてなかった。

 

 

 

私はミシンが苦手である。

きちっと真っ直ぐに丈夫に縫えるミシン作業は仕上がりも美しいのですが、

ミシンを広げる場所がないという現実的な理由もあり、気が向いたらいつでもすぐに始められる手縫いが好み。

でも一番の理由は、手縫いが持つ独特のふわっとした風合いが大好きなのです。

洋服やインテリア雑貨でも最後の仕上げのステッチが手縫いだと、それだけでグラッときてしまいます。

お気付きの方が多いかもしれないですが、フォンテスキーのアクセサリー納品袋は手縫いです。

あれは、活動を始めてからずっとこだわっている個人的な好み故のこと。

 

 

そんなわけで、我が家では刺繍や刺子、裁縫と用途別に箱やかごに分けてしまってあるので、刺繍用のかごカバーを刺子で作りました。

 

 

若い頃に読んだ本の中で印象に残った手芸にまつわる話がある。

最愛のご主人を亡くし、自身ももうあまり視力も思わしくなくなり、動作もきびきびと動けなくなったドイツのおばあちゃんが、何か自分にできることを考えた挙句、ベッドカバーを縫うことを家族に宣言し、とりかかった。

風邪をひいたり、体調が思わしくなくなったりして、遅々として進まない針の進め方に、孫は椅子のカバーになってもいいじゃないかと何度も提案したが、何年もかかってコツコツと縫い続けてついに完成させた。

完成したベッドカバーのお披露目を兼ねたお祝いには、家族や親戚中が駆けつけてパーティーをした。

 

そんな話だった。

いい話だなあ、こんな風なおばあさんになりたいな。

読み終えてそう思った。

 

年齢を重ねても手を動かし何かを生み出せることがあるということは、苦しみや辛さを置き換えたり遠ざけたりできるものではないだろうか。

 

いつの時代も女性にとって手芸ができることは、いつか自分自身の助けになる時がくる。

そんなふうに思うのです。

そして、その時、そんな風な暮らし方をしていたいと思うのです。

 

 

 

 

 

 

2023.06.30

来た道、ゆく道

 

 

 

来た道、ゆく道。

 

器好きが高じてギャラリーを始めたというギャラリーのオーナーがプライベートな話しを聞かせてくださったことがあった。

 

ある時から器が重く感じ始めてね、だんだん塗りのものが食卓に多く並ぶようになってきたのよ。

 

 

この話を耳にしたのは、10年以上前のこと。

食器が重く感じるとは非常に疲れていて気力までもが落ちていているごく稀な時しか経験がなかったので、他人ごとのように聞いたものだった。

 

古くから日本の食卓で使われてきた漆器。

黒い蓋付きの漆器に注がれたゆらめくすまし汁や漆黒を背景に浮かび上がる艶のある羊羹。

これらを行燈の灯りで戴くときの美しさ。

さらにこれらを口にした時の味覚。

この美は、日本ならではのものである。

 

不確かかもしれないが、谷崎潤一郎の陰翳礼讃の中でそのような内容で讃美されていた灯りと漆のくだりは、ビジュアルとして鮮烈に私の中に記憶されていたことを思い起こした。

 

当時話してくださったオーナーの年齢に自分が近づいてきて思う。

 

 

ハレのときにだけ使うもののように思っていた漆器。

ちょうど話を聞いた頃に、日常で使う漆器を提案している越前塗りの塗師の作品に出会った。どの作品も気取りがなくそれでいて品がある。

少しずつアイテムを増やしながら、それまでの固定観念が払拭されて自由な使い方が楽しめるようになった。

使い始めて気づいたことがある。

温かい食事を盛っても過剰に器が熱くなることもなく、食後に洗うときもするするとスポンジ通りもよく、水切れも良く苦にならない。

食器棚にしまうときもさっと重ねられる。

修復しながら長く使うことができる。

何より、使う度に少しずつ艶が生まれて微妙に色味が変化してゆくのがなんともよいのです。

時間をかけて馴染むようにして育ってゆく感覚が、少しずつうちとけあってゆく仲間のようで、若い頃には理解できなかった良さを味わえるようになった。

 

気がつけば両手で持たなければならない大胆な柄の大皿の出番が減ってしまっている。

使うたびにテンションが上がる器たちだった。

ああ、ほんとだ。

重たく感じる。

これが出番が減っている理由である。

 

少しずつ揃えた日常使いも兼ねた漆器たちだが、ハレの日も使えそうなアイテムは意外にも少なかったのだが、佇まいがとても気に入って馬上盃が加わった。

今は盃以外の用途の出番の方が圧倒的に多い。

当時、ぼんやりと聞いていた食器の重さの話は、現実になっていた。

 

未来の自分は常に何かを感じる今の自分が作っているのかもしれない。

 

流れる月日は同じ。

 

誰もが

来た道。

ゆく道。

 

されど感じる心は、千差万別。

意のままに、愉しみ歩む道。

 

そんな道を歩みたいものです。

 

 

2023.06.23

涼度加減

 

 

 

アトリエから帰宅すると、蒸し暑さが満タンになった部屋の窓を開放し吹き渡る風で気の流れをリセット。

 

一刻も早くエアコーコンディションのリモコンに手を伸ばしたくなるが、開け放った窓のそばの風鈴の音が風を知らせてくれる。

耳で知る音で涼感。

 

 

 

 

植物も気持ちに涼を送り込んでくれる。

アトリエに咲いている少し色づき始めたブルーベリーとベランダでぐんぐんのびているレモンバーム。

暑い季節になるとよくやるのだが、いつもは床置きの大きな花器をどんとテーブルの上に乗せます。

今回は花器に合わせて低めに活けましたが、背の高い花器にたわわにテーブルに垂れ下がるように活けるのも、まるで木陰でお茶や食事をしているような気がしてなかなかよいのです。少し爽やかな香りのするものがさっぱりした気持ちになります。

鼻腔の奥に届く香りで涼感。

 

 

 

 

エアーコンディションの風でかすかに揺れるドウダンツツジと波打つようなトルコ桔梗。

目で感じる風が涼感。

 

五感総動員で。

いろんなものの力を借りて。

深呼吸を忘れないで。

 

これからの夏本番に備えます。

 

 

 

 

 

 

2023.06.07

1日をしめくくるための灯り

 

 

 

1日の終わりに何をか思う。

 

若い頃は、早く休む事は時間を棄てることのように感じていて、眠くなる寸前までどうでもよいことに時間を使って、結局は時間を棄てていたに等しい過ごし方をしていた。

今では、どんなにささくれだった心の日でもゆったりとした気持ちで眠れるよう、夜は良質な睡眠のための準備時間として心がけている。

そんな環境つくりのひとつとして、ここに越してきてから改めたのが灯りの捉え方である。

デジタル製品が生活に密着し24時間体制の現代、暮らしの中でなるべく照度のコントロールを意識しながらリラックス効果を得る工夫をしなければ、リズムは幾らでも狂ってしまう。

リズムが狂うと生きる時間に対して粗末な扱いをして、それが長く続くと自分自身に対しても粗末になり、いずれ他人に対してもぞんざいになりかねない。

その基本は、暮らしの中に潜んでいると思うのです。

 

季節ごと、日ごと、窓から見える空の色や明るさは違う。

そして、日ごと、1日の終わりに思うことや感じることは違う。

心の状態もフラットではない。

 

 

天井からのスポットの数をぐっと減らし、部屋のコーナーや椅子のそばの読書灯、手軽に移動させられる行灯のような灯りにしぼり、部屋で過ごすのに必要な明るさを得ながら、同時に照らされたお気に入りのアートやグリーンが浮き上がることで心が和むようにした。

 

見え過ぎることは、心のざわつきの原因になる。

これは、情報も同じと云える。

明るさもコントロールが必要だと感じるのは、そういった理由もひとつである。

 

 

椅子と灯り。

これらのアイテムがあればどんな場所でもたちまち空間がたちあがる。

そうやって生まれた新しい場に添えたいものは、何だろう。

自分にとっては、音は必須。

音と今日は温かい飲み物かな。

イメージするだけで心はほぐれる。

そんな時間をひとときでも味わえるならば、その時間は命を持った時間となり、私に寄り添ってくれて多くを語らい、ひらめきとやわらかな判断をもたらしてくれる。

 

新しい明日のために思考を、一旦、どこか遠くに預けてみる。

それが睡眠の役目ではないだろうか。

 

1日の終わりに何をか思う。

今日という日は唯一無二である。

 

 

 

 

 

 

2023.05.22

アサギマダラのロマン

 

 

 

2000キロの渡りをする珍しい蝶、アサギマダラが大分県姫島に休息しにやってきています。

 

 

暑がりで寒がりのアサギマダラは、気温20度前後の快適な場所と花の蜜を求めて、なんと台湾から北海道まで渡りをする蝶だそう。

鳥ではなく、蝶です、

驚き。

 

羽を広げると約10センチほどで品のよいアイスブルーの模様が印象的な、形のよい美しい羽を持つアサギマダラは、この日、250頭が優雅な舞を見せてくれました。

 

 

スナビキソウの蜜を吸いながら羽を休めて過ごします。

 

 

昨日は、長野県在住のダンディな研究者がお見えになっていて詳しい話を聞くことができたのですが、この不思議な蝶が渡りをすることが分かったのは、実は80年代とつい最近のことらしいです。

寿命が半年ほどというアサギマダラは、まさに旅するために生まれてきた蝶。

 

 

風が吹きふわふわといっせいに舞い上がった瞬間は、あちこちから見にこられていた方々からも歓声があがり、それはそれは美しい瞬間でした。

一眼レフで臨んだ撮影も、技術がともなわず残念ですが…

 

寿命を全うした蝶の羽は、2000キロの旅に耐えられるためなのかかなり肉厚のしっかりとしたものでした。

 

姫島をあとにしたアサギマダラたちは、途中、休息をしながら次なる目的地、北海道を目指して旅を始めます。

北海道で夏を過ごしたあと、秋に再び姫島にやってきて休息し寒さを凌ぐために今度は台湾にむかうのだという。

まさに生き抜くために旅を続けるアサギマダラ。

人間に強いメッセージを与えてくれたような気がしました。

 

西日本では、琵琶湖と姫島が休息地となっているそうです、機会があればぜひ!

 

個展の準備後のリフレッシュ姫島アサギマダラライド。

前回訪れた時、アサギマダラを見に行こうと、ずっと飛来数をチェックしつつ制作準備を進めてきました。

再び立ち寄ったカフェの方が、あ!お久しぶりです!とオーダーの品にお菓子の差し入れを添えて下さいました。

覚えていて下さったことに感激。

名前を知らない方々との再びの出会い。

1日とはいえ、旅っていいですよね。

アサギマダラにはおよびませんが。

 

さて。

本日は作品群を鹿児島に発送済ませて、いざ向かいます!!

 

 

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