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2019.09.30

満足度ストレージ

 

 

午前8:45着。

シートベルトを外し車から降り立つと、全身で清潔な空気を味わいながら頭上の空を見上げる。

まるでテンプレートで描いたようなうろこ雲。

 

私の中の満足度ストレージの針が動き始める。

 

 

 

 

トレッキングを始めようと思いたったときから、多くの登山愛好家たちに薦められ続けていたくじゅう。

その登竜門的な存在のくじゅうの、最もポピュラーなコースにやっとチャレンジだ。

今年に入ってからちょうど25回目のトレッキングだった。

 

何度登っても最初の20分ほど同じことを感じる。

あれ、体、なまってる。

しんどいな。

前回、いつ登ったか。

 

程なく身体が慣れてくると、リズムがよみがえってくる。

 

 

 

 

なるほど。

皆さんが薦める筈だ。

めくるめく変化し広がる壮観な景色。

全く飽きない。

フォトジェニックなシーンがいくつもいくつも表れる。

写真を撮ること自体が、もったいない。

充分に味わなければ。身体を使って今ここに在るのだから。

 

 

急登が続いた後に尾根歩きに入った。

 

何人もの小さな子供達の声が響いてきた。

え。

ここを子供達が登っているの?

 

前方には小さな女の子達数人と引率している女性が3人。

小グループに出会った。

子供達とママ友だろうか。

がんばれがんばれ〜。

エールを送りながら先へ進んだ。

 

インターナショナルなカップル。

キャンプのフル装備のカップル。

身軽な装いの体の引き締まった単独登山者。

キャリアを感じるご年輩の小さなパーティ。

 

いろんな方々とすれ違った。

 

 

1時間半位登っただろうか。

避難小屋でトイレ休憩を済ませ、いよいよ久住山頂上へ。

ガレ場を超え久住別れに辿り着いた辺りで、再び子供達の声が遠くから響いてきた。

姿は見えない。

 

 

ヤッホー!

ヤッホー!!ヤッホー!

きゃあきゃあといくつもの女の子達の声に混じり、しばらくヤッホー!が続いた。

 

そうだ。山ではヤッホー!だ。

 

ヤッホー!!

友人と2人で足を止め、ヤッホーこだま便を飛ばした。

届いたどうかは分からないが、なんだか楽しくなった。

 

ガレ場の石はだんだん大きな岩になり、傾斜も激しくなってきた。

頂上に立つ人影が見え始める。

もう一息だ。

 

予定より早めに到着となった。

360度の眺めは圧巻だった。

阿蘇方面、春に登った英彦山方面、次回予定の由布岳方面、1000メートル以上の山々がいくつもいくつも重なっている九重山群。

10年前から始めた同郷の同級生登山愛好家が、私が登山を始める前に語ってくれた。

くじゅうに最初に登った時、あまりにも強烈で魅せられ、完全に取り憑かれた。

毎週のようにあらゆる山を登り、キャンプし、あの頃自分はくじゅうに住んでいる状態だった。

と。

 

解る。

これまで登った山とはスケール感がまるで違った。

ひとしきり登頂証拠写真なるものを撮影して、お弁当を広げた。

広げたお弁当にゆったり動く雲の影ができる。

風が心地よく吹き渡る。

山頂おむすびはやっぱり最高だ。

 

続々とすれ違った方々や、別ルートで登頂してきた方々がやってくる。

 

再び子供達の声がかなり近くに聞こえてきた。

振り向くと、なんと総勢10人以上の子供達と引率の大人達が頂上に表れ始めた。

 

真っ赤な顔した子供達が次々に集まってきて、山頂は一気に賑やかになった。

え!!

あの子達、ちゃんと自分の足で登ってきたんだ!

ちっちゃな足、ちっちゃな体で。

思わず拍手した。

少し遅れて女の子がもひとり引率の女性に付き添われて登ってきた時には、更に拍手や声援が沸き起こり、感激して立ち上がって拍手するインターナショナルな青年もいて、子供達は一瞬にしてヒーローとなった。

山頂1786.5メートルの記念碑の前で記念撮影する子供達は、登頂者大人たちの注目の的だった。

 

下山前に引率の女性に尋ねたところ、子供達は大分県の保育園の児童たちで5歳か6歳だという。

引率されていた皆さんは保育園の職員さん達で、今日は年中行事のくじゅう登山だったという。

 

驚いた。

 

この日のために1年間、毎日長距離散歩や低い山で練習をして、今日がその集大成の日で全員が3時間半で登頂できた。という。

目標は3時間だったと聞き、更に驚いた。

小学低学年生でも4時間以上かかったと聞いたことがある。

 

どんなことでも積み重ねるトレーニングで可能になるものなのだ。

ひとりも脱落者なしで登ってきたなんて、ほんとに驚きだった。

 

もしも私が登山に興味のない親であったなら、子供には無理だ。

そう決めてしまったかもしれない。

どんなことでも積み重ねるトレーニングで可能になるものなのだ。

 

以前、どこかの山頂でお会いした登山歴50年の方が言った。

足を一歩前に出す。また足を一歩前に出す。

これをくりかえしてゆけば、どんな山でもいつかは頂上に辿り着ける。

それが登山だ。

 

やめることをしなければ、いつかはその場所に辿り着ける。

 

とっぷりと暮れてゆく茜色の山を車窓より眺め入った。

その時、5歳児たちの1年間のトレーニングの様子が見えたような気がして、私の初のくじゅうトレッキングの満足度ストレージは、容量オーバーとなった。

 

 

 

 

 

 

2019.09.19

次回の個展のご案内など

 

 

 

本日は、すこぶる秋を感じる空、風、光。そんな1日でした。

日々、制作に邁進しております。

さて、軽くご案内です。

次回の個展は、来月10月25日より毎年恒例となりました山口県光市のドログリーイケオカさんです。

DMの準備のご連絡を頂きました、手元に届きましたらまた詳細ご案内致します。

 

 

 

 

 

涼しくなってきたので、毎日場所を決めて少しずつ夏の汚れと名残りを浄化、整理している。

 

昨日の浄化、整理エリアは、靴箱、玄関の内、外。掃除道具収納庫。

毎日少しずつ夏から秋へとリセットされてゆくようで、終わるとすっきりする。

仕上げは、窓を開け放った状態で、香炉を使ってお香を焚く。

 

今のお気に入りは、ざくろの香り。

 

香炉でお香を焚くという行為自体を味わいたくて日々浄化、整理を繰り返しているようなもの。

心のざわつきが姿を消し沈黙の静けさが表れる。

この入れ替わる瞬間、意識はしていないのだがすっと全身の力が抜けていつもよりゆったりと呼吸している。

ヨガの最中、なぜかこれができない日もある。

 

香りは持続しないので、おまけのようなもの。

蚊取り線香の香りでも悪くないように思う。

 

この頃、街の場所によって異様な臭いがするスポットがこの10年近くでずいぶん増えたような気がする。

 

夏が暑すぎるからだろうか。

何か別な原因があるのだろうか。

今日のような爽やかな日は、残念な気がしてならない。

 

 

匂いの感度は個人差があるので、我が家で焚くお香も他人にしてみればあまりよろしくないものかもしれない。

 

と、思ったり。

 

どんな日も朝目が覚めたら部屋中の窓を開けて回る。

部屋中の空気の流れを滞らせないこと。

 

開けられない日のために植物は欠かさないようにしている。

 

効果のほどは不明。

気分的なものかもしれないが、気分は大切なのよね。

いや、かなり重要であるのよね。

 

 

 

 

2019.09.12

秋山、山開き

 

 

 

先月後半はずっと雨に見舞われていたが、もう辛抱たまらん!

そんな気分になり、近郊でせめて終日曇りの日の山はないものかと検索しまくって、しばらくぶりのトレッキングに出かけた。

 

 

 

 

 

 

しばらくぶりのそして初めての山。

駐車場で登り慣れた様子が伺われる方となんとなく目が合い、声をかけてみたところ、この山を100回は登ったと話してくれた。

仕事が夜がメインらしく年間200回はあちこち登るという。

ここは福岡でも最も頂上からの眺めが素晴らしい山だと思う。

 

この言葉で一気にテンションがあがった。

 

しばらくぶりのトレッキングとあってか、はたまた空気中にたっぷりと含まれている湿度のせいか、呼吸が乱れやすく春よりきつく感じた。

 

私の体って、どうしようもなくほっておけばすぐに劣化するのか。

どうしようもないな。

 

そんなことを思いながら、頂上へ着くと一気に気分爽快。

 

下山コースを辿っていると、駐車場でお会いした方と再び遭遇。

 

今回の登山目的は、夏エビネという花を見つけることだと駐車場で聞かされていたが、満面の喜び顔で見つけたと写真を見せてくれた。

 

私の下山コースでもおそらく見ることはできるだろうとのことで、写真を頭に焼き付けて下山した。

 

なかなか見つけられなかった。

 

 

 

そして、なんとひと株だけ咲いていたのです!

 

しかも、大切に大切に囲われるようにして。

 

帰宅してから調べてみたところ、この花は蘭の仲間で、絶滅危惧種に類しているものでした。

 

冠を頭に乗せた貴婦人がドレスをまとっているような可憐な花でした。

 

インターネットのおかげでアウトドアも楽しくなったものです。

登山途中、何度もヤマップにお世話になりましたし。

山で知り合った方とも交流も持てる。

 

 

やはり、新しい世界はわくわくする。

おそらく、自分の知らないことに出会うからだろうと思うのであった。

 

秋山。

山開きの始まり、始まり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019.09.02

デジャビュなカフェ

 

 

 

初めての街。

少し雨が降りだし、身体がひんやりしてきた。

目的の場所には少しまだ時間もある。

カフェに入ることにした。

 

 

 

 

前方に趣のあるクラシカルなホテルが見える。

宿泊客がタクシーに乗り込む姿を見送ったばかりのドアマンに尋ねてみた。

 

ホテルのカフェは開いてますか。

申し訳ない、営業は11時からです。

道を挟んで向かい側あの建物はモーツァルトの生家で、中にあるカフェはザルツブルグでも人気のカフェです。

あちらだったら営業が10時からでもう開いていると思うよ。

 

親切な応対に礼を言って、雨足が少しずつ強くなったので小走りに建物に駆け込んだ。

しかし、その日は残念なことにカフェはお休みだった。

 

カフェから始まった美術、哲学、思想、オーストリアのみならず、ヨーロッパにはカフェという空間が起源という多くの叡智が生まれた。

カフェはいたるところにある。

 

すぐ先にもう一軒雰囲気の良さそうなカフェを見つけた。

きびきびと働く赤いベストをきちっと着た体格の良い男性スタッフに尋ねた。

 

開いてますか。

スタッフは、体格に反して優しそうな声ではにかみながら申し訳なさそうに

エルフ。

と一言。

こちらの英語の質問は通じていたようだが、ドイツ語の返事だった。

ここも11時から営業か。

 

完全に足先が冷えてきた。

夏の雨とはいえ、思いのほか冷える。

そのすぐ先に看板が魅力的なカフェが目に入った。

先客が入って行くのが見える。

 

あそこにしよう。

ダーウィンという名のカフェだった。

 

 

 

 

 

店内はコンテンポラリー色だけではない、博物館的な装飾品が置かれ、調度品はカウンター側以外のボックス席は少し重厚感のあるミックスインテリアで、異風だけれども洒脱な内装だった。

 

壁面には入り口から奥の方へと人間のルーツが線描画で描かれていた。

どこかエゴン・シーレのようなタッチ。

 

種の起源のダーウィン、ということか。

 

身体が思ったより冷えてしまったので、お酒の入ったコーヒーにするか迷ったが、ちょっと甘いものも欲しくなり、ホットチョコレートをオーダーした。

 

 

 

 

少し前に読んだ長編「葬送」平野啓一郎氏著 の中に画家ドラクロアのお気に入りの飲み物があり、交流のあったショパンにこの飲み物を教えるシーンがあった。

ドラクロアが寒いアトリエでこれを飲むシーンが出てくるたびに、いかにも魅力的な思いがしたものだ。

コーヒーとホットチョコレートを割った飲み物。

 

確かホットチョコレートが足りずにドラクロアはコーヒーを足したら美味しくてはまった。そんな発見の味だったような。

そんなことを思い出しながら店内を見回す。

夜はバーとなるようだ。

 

 

毛の短い脚の長い犬を連れた知的な雰囲気の男性客が入ってきて迷わず席を決め腰かけた。

犬も慣れた様子で飼い主の足元に座り、置物のようになった。

 

雨にびっしょり濡れた傘を手際よくたたんで入ってくるマダムと紳士がゆっくりと席に着く。

 

軽装で馴染みのある雰囲気の男性客がまっすぐにカウンターに向かい静かに座った。

 

隣席のカップルは地図を広げてイタリア語で楽しそうに話している。

カフェは、あっという間にお客さんでいっぱいになった。

 

なんだかこのカフェは独特の気持ちを感じる。

空間に馴染むというか。

空間と時間と自分が溶け込むように馴染むそんな感覚だ。

 

以前から知ってたお店のような気持ちにさせる。

 

どこかに似てる。

違う。

どこかで似たような気持ちになった。

そうだ!

 

プラハのカフェだった。

 

プラハのカフカというカフェ。

内装のイメージは違う。

共通しているのは、どちらも著名人の名前がついたカフェ。

 

いつか来たことがあるような、そんなカフェ。

デジャビュなカフェ、2店舗目だ。

 

密かにこれからの旅でカウントを愉しむのも面白いかも。

そして、それらをいつか再び訪れるだけの旅。

 

そんな旅も愉しいかもしれない。

 

少し冷めたホットチョコレートを飲み干し、備えてあった小さなクッキーを口に入れた。

 

どこのカフェでもついてくるこのクッキーは、少し苦くて口の中がさっぱりする。

 

 

住んでいる町でカフェに入ることは殆どなくなった。

でも、旅にカフェは必須だ。

 

いろんな経験や頭の中のものがふいにひきだしから飛び出てきて交錯する。

 

だから、カフェにあらゆる人が集まり文化を作ったのだろう。

 

 

 

 

 

 

2019.08.27

扉の向こうに

 

 

扉の向こうに。

 

 

 

 

 

確かな希望と望む未来があるならば、誰しもノックし押し開くことを迷うことはしないだろう。

 

心を決めるだけだ。

 

しかし、扉はガラス張りではない。

重く時を重ねた古めかしさと朽ちた気配は、眺めるうちに2度と抜けることのない災いを含んだもののようにも見える。

 

勇気を試されているのか。

全てを引き受ける覚悟を計られているのか。

偽りのない欲望であるか最終質問を受けているのか。

 

全てが私の中の心にこだまする。

 

人は心の中にずっと思い描いている幾つかのことがあるのだろうと思う。

 

幼い頃から描いているものが変わらないという人は希少であろうが、

ある時からそれはほぼ変化しなくなる。

それはきっと自分が真に望むことであろう。

 

今一度自分の中に変わらぬ描写があるのであれば、

扉の前まで出向き

扉の前にしっかりと立ち

握り締めたこぶしでノックし

進み入る自分の存在を示す

扉を押し開きながら

そこまで出向いた自分の足を信じて

ただ踏み入る。

 

全ての不安を捨てて。

 

時は有限である。

 

 

 

 

 

 

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