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2021.04.11

言葉を形で表現する

 

 

 

その頃、引っ越し先を探し続けて1年近くが過ぎようとしていた。

 

昨年、ギャラリーで個展中のこと。

お昼をギャラリーのバックヤード休憩所で食べていた時に、3棟の陶のおうちのオブジェが視界に飛び込んで来て私の目を捉えて離さなかった。

口の中のものを急いで飲み込むと、立ち上がっておうちたちに近づいた。

 

 

 

 

 

 

 

どこかで見たようなおうちだ。

 

手に取って見ると、木だと思っていた部分も全て陶だった。

おうちの4面全て様子が違う。

技術も感性も素晴らしいと思った。

 

なぜだろう、懐かしいような気持ちになる。

それでいて不思議と心の中が温かくなるような。

どなたの作品だろうか。

 

しばらくそのおうちを眺めていたら、あちこちのヨーロッパの国境越えをした旅のシーンが映写機のように回り始めた。

 

絵本のようななだらかな牧草に羊たちが放牧され、丘の中腹にはシンボルツリーのような木がそよそよと揺れている。

その先の丘の上にはぽつんと小さなおうちが建っている。

あのおうちには人が住んでいるのだろうか。

農具が収められているのだろうか。

 

かわいらしいな。

 

そうか。

あちこちのヨーロッパの田舎街で目にした丘の上のおうちたちに似ているのか。

列車や高速バスから眺める名前も知らない通り過ぎた街のぽつんとあるおうちたち。

全く違う時の全く違う国で何度も見かけたシーン。

言葉も違う異国を旅している身だというのに、あの景色を見るとなぜか今まさに自分がどこかへ帰って行こうとしている、夕暮れ時のような心になるのだ。

 

3棟のおうちをみた時に感じたのは、まさしくあの時の気持ちだった。

 

マイホームと別荘だ。

どうしても1棟に絞り切れずそんな最もらしき言い訳をしながら、2棟をギャラリーから我が家へと移築引越しして貰うことにした。

それから3ヶ月後、諦めかけていた引越しだったが、やっと住んでみたいと思うような物件に出会えて、その翌月にはマイホームと別荘と共に引っ越しをした。

 

 

 

このおうちたちとの出会いから約1年後の先週、気になっていた映画を観に行った。

評価通り、映像も素晴らしく映画の中に含まれる温かい温情のようなものが心に残る、ひさしぶりに味わいのある作品に触れ大満足だった。

その映画の中の心に響いたひとつの台詞があった。

 

家は、心の中にある。

 

台詞を聞いた瞬間、

あ!陶芸家は、この言葉を表現したくてあのおうちたちを作ったのではないだろうか。

それは、あの時、陶のおうちたちと目が合った瞬間とあまりにも酷似した気持ちだった。

 

家は、心の中にある。

映画「ノマドランド」より。

 

 

言葉を形に表現できる、それがまぎれもなくアーティストだ。

最もマイノリティは、最も普遍的なものへと通じている。

だから、この世の誰かの心の一部を捉えるのだろう。

 

それは、必ずや言語を超える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021.04.07

 

 

 

 

 

 

先月末のこと。

飲食店の時短営業が解除になった折、実に1年ぶりにクリエイター仲間3人で食事に出掛けた。

駆け出しの頃大きなイベントで一緒だったことがきっかけで付き合いが続いているメンバーの一部でもあり、近況報告などを兼ねたある意味仕事の延長的な集まりになった。

 

 

 

 

食事の後、静かな環境でより真摯な話の時間をとることにした。

それぞれの目線で感じる世の中の変化、方向、新たな目線、情報などなど。

 

 

クリエイターは、孤独な時間が多いということもあり加速的に動いているこの時期は、本人が思う以上にストレスとなっている事もある。

 

人は、人と会って目を見て話す事で安堵する。

少なくとも私はそんなタイプの人間だ。

 

頻繁に会わなくても頻繁に話さなくても会えばほっとする付き合いの人達とは、気がつけばとても長い時間の付き合いとなっている。

 

辛い時ほど笑い飛ばせる心持ちでいたい。

みんな頑張ってる。

 

私も今までと変わらず、なるべく平常心でベストを尽くそう。

そう思った会だった。

 

再び緊張感が増すニュースが連日流れている。

 

あの時、久しぶりに会っててよかった。

改めてそう思った。

 

 

 

 

2021.03.30

「薄氷」という名の銘菓

 

 

 

 

 

桜もほぼ散りつつありますが、連日の黄砂の影響で真っ白の福岡です。

 

3月も残る所あと1日。

次回の北九州の5月予定でした2人展は、11月に延期になりました。

というわけで次の個展は、6月の鹿児島個展です。

気持ちを切り替える前にいっぷく。

いっぷくにまつわるお話。

 

 

和菓子の世界は、四季を愛でる心とそれを表す削ぎ落とされた形や色、そしてさらには和菓子職人の句や詠心といいましょうか、菓子の横に静かに添えられた書で記された菓銘を見て、更に、奥深く見えてくる世界が広がる。

食すと滋味深い、和ならではの余韻。

和菓子は、ただの菓子ではなく、日本人の心が詰まった五感を満たす贅沢な食なのだと思う。

この小さな菓子の世界に詰まった世界に、年齢を重ねるごとにますます魅力を感じるようになりました。

 

まあ、偉そうなことをわかった口して並べておりますが、その実、作法も知らずにここまできてしまいました。

それでも、この和菓子の削ぎ落とされた世界は、実は私の制作においても学ぶことが多く、老舗の上生菓子を扱うお店の前を通る時には、たとえその時間が午後であり売り切れていることが予測されていても、必ず本日の上生菓子のケースを覗きに店内に入る。

 

 

今年初めての登山は、山頂の凍った池の上を歩くという人生初体験をしました。

少し前のブログやインスタで写真をアップしたところ、いろんな方からコメントを頂きました。

それは、とてもとても美しく、近く作品にしようと思っているところであるのだが、昨日、偶然にもこの凍った池を和菓子にしている銘菓を見つけました。

 

富山県の五郎丸屋の「薄氷」。

 

 

 

 

 

 

箱の中は、ふかふかの脱脂綿がまず被されていて、そして薄紙、それらをそっと剥がすと、まさしく薄氷さながらの姿で並べられておりました。

おお、くじゅう御池の凍った姿と同じではないか。

 

 

 

 

全国の和菓子を名器と共に365日で紹介している「一日一菓」という写真集の中にも掲載されておりました。

 

 

 

 

 

 

 

食感もまるで薄い氷が割れるような音になるような工夫が施してあり、薄氷というテーマをデザインにしただけではなく、菓銘にふさわしい総合的なこだわり、細やかさが、さすが日本の職人の仕事だなあと深く感銘を受けた次第である。

 

お茶の世界は全く無知ではありますが、

和菓子を作るには総合的な教養のようなものが必要とされ、菓子とはいえ知性と気品のような空気感を放っているように感じるのです。

 

食す時にも静かにゆったりとそれでいて背筋をしっかり伸ばして味わいたい、そんな気持ちにさせてくれます。

 

そして、日本人でよかったなあと心から思うのです。

 

 

 

形にするためのデザインはどこからやってくる?

外にはない。

常に自分に属した日常の中に潜んでいる。

よく目を開けて日々を過ごすことである。

 

そう、私が私に答えた。

 

ちなみにこれが私の歩いた凍った御池です。

 

 

 

 

富山県の五郎丸屋の「薄氷」。

機会がありましたら、ぜひお抹茶と共にいっぷくいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021.03.21

与えられた時間が産んだ見えるものへの変化

 

 

 

 

 

 

今朝は、邪魔にならないリズムで雨が静かに降っています。

アトリエに出るつもりでいつものように身支度していたのだが、雨の音を聞いていたら静かに過ごす日にしようかと予定を変更した。

いつもリビングから見える山々には、白い雲が垂れ込めていてキャンバスに描いた絵のようにビルが並んで見えるだけで、味気ない風景画のようだ。

 

 

この頃手に入れた写真集に写真家がイメージに合わせて作成したCD がついていて、そのアルバムが今日の天気にとてもリンクしている。

 

音と景色は、その時の気分を随分と影響を与える。

 

 

 

 

 

先日の京都展の翌日、寄り道スケジュールを組み、昼間に六甲山に登り夕刻から摩耶山へと車で向かい夜景を眺めた。

 

 

 

 

 

日本3大夜景と言われる神戸から遠く大阪の夜景は、なかなかの迫力だった。

 

若い頃は、海外の統一されたスケール感のあるオレンジ一色の夜景にシンプルな美しさを感じてモダンに感じたものだったが、日本の狭い国土にひしめき合う色とりどりのネオンサインは、むしろ特殊な夜景かもしれないとふと気づいた。

 

私にとって昨年からの自粛期間というものは、それ以前からじわじわと気づき始めていた、異国への憧憬に対するある程度の満腹感を通して日本人としてここに生きている。

そのことへの覚醒的な気付きの時間だったように感じる。

 

こんな年齢になるまで一体何をやっていたんだろうというくらい、住んでいる街のすぐそばにあるものにも、通過するようにして見ていた景色やとどめることなく聞き流していた音が溢れていた。

 

人にはそれぞれに必要な時間というものがあるように思う。

そこには、正解はなく、早いも遅いも順番もなく、その人を取り巻く時間と変化を受け入れるタイミングが混ざり合っている。

 

学生の頃の友人が、この時世、誰もが羨む安定した職場にありながら、今月で早期退職を決意したと聞いた。

 

家族への説得と理解。

未来への不安を希望に変換する思考。

外野の声を留めない軽やかさ。

そのあらゆる勇気に驚いた。

 

やりたかったことを今から始めなければ、間に合いそうにない。

と。

 

この時世の最中、私の心までも晴々とした気持ちになった。

 

友人にとっての時間が実り多いもので満たされることを願っている。

 

そして、私自身も与えられた時間の中で、見えるものと見るべきもののチョイスの変化をしっかり受け止めてゆこう。

そんな風に思った。

 

人は、あと一歩の勇気がなかなか踏み出せないものである。

年齢を重ねると、その一歩はとても動かし難くなる。

一歩を動かす人の話は、なるべく耳にしたい。

いざ、自分の足を動かす時が来た時に、自分や周囲に言い訳を用意せずにすっと踏み出せるように…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021.02.24

ケルン

 

 

 

 

 

もしか或る日、

もしか或る日、私が山で死んだなら、

古い山友達のお前にだ、

この書置を残すのは。

 

おふくろに会いに行ってくれ。

そして言ってくれ、おれは幸せに死んだと。

おれはお母さんのそばにいたから、ちっとも苦しみはしなかったと。

 

親父に言ってくれ、おれは男だったと。

 

弟に言ってくれ、さあお前にバトンを渡すぞと。

 

女房に言ってくれ、おれがいなくても生きるようにと。

お前が居なくてもおれが生きたようにと。

 

息子たちへの伝言は、お前たちは「エタンソン」の岩場でおれの爪の跡を見つけるだろうと。

 

そしておれの友、お前にはこうだ。

 

おれのピッケルを取り上げてくれ。

ピッケルが恥辱で死ぬようなことをおれは望まぬ。

どこか美しいフェースへ持って行ってくれ。

そしてピッケルの為だけの小さいケルンを作って、その上に差し込んでくれ。

 

 

フランス登山家  ロジェ・デュプラ

 

 

 

 

初めてこの詩を知ったのは、井上靖 著の「氷壁」でした。

ひらがなを交えた表記にしていますが、小説の中では漢字以外は、旧カタカナの表記となっていました。

 

胸がつかえて、涙が盛り上がるようにして瞬く間に溢れ出し、読みなれない旧カタカナ混じりの文字が涙で滲み、流れるように読み進められなかったのを今でも覚えています。

フランスの登山家が遭難し、そこで書き残した詩が事実上遺稿となったもので、登山家たちの中ではとても有名な詩とされていて、小説「氷壁」の中でも引用されていました。

 

 

 

 

 

 

ケルン。

登山の経験はない方でも、登山のドキュメンタリーなどで登山ルートや頂上に積み上げられた石を見たことがあるのではないでしょうか。

 

ケルンには、意味がふたつあると言われているらしい。

 

ひとつは、登山ルートに間違いはないという道標の意味。

そして、もうひとつはこの詩の中に出てくるように、慰霊碑の意味。

ケルンの石の下には亡くなられた方の慰霊の品などが埋めてある。

この辺りは危険です。注意してください。そんなメッセージを含んでいる。

 

何度となく山を歩きながらこのルートであっているのかと不安にあることがあるのだが、ケルンを見つけた時は物言わぬ友を見つけたようで、ほっとするものである。

私は危険な山を登るほどの実力と経験がないので、ふたつめの意味を示しているようなケルンには出会ったことはない。

いや、低山でも危険なことはたくさんある。

どんなにベテランでも一瞬のことで危険と化す。

 

既にふたつめの意味のケルンを何度となく目にしたのかも知れない。

 

この詩は登山家ロマンとしてうつりがちだが、どこかで現実に起こることだという緊張感をぴんと走らせながら、敢えて登山パートナーとテントの中で詩を暗誦するもののようだ。

 

 

視界もよく迷いそうなルートとは思えない場所で機嫌よく歩いている時、不意に出会う立派に積み上がったケルン。

その時、

もしか或る日。

の詩を思い出すのである。

 

 

平和であり続けた日常、足り過ぎた日常。

この1年間、我々に幾つものメッセージを携えたケルンが、誰の心にも積み上がっているのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

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