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daily life

2018.01.22

親しみのある出会い

 

 

あ!

私の作った雲のブローチに似てる。

これは買わなきゃ!

 

 

 

北欧のユーズド雑貨で葉っぱモチーフであると、買いつけたオーナーさんは話してくれたが、私にはどうにもマツポックリにしか見えなかった。

葉っぱと聞き、あ、そうか、確かに大半の方はそう思うよな。

時々、人とずれた見え方をする傾向にある私だ。

 

形の捉え方は人それぞれで、相手が現物を見ていないものを他人に説明するときの形の表現の仕方は、なかなか興味深いものがある。

 

場所の説明をして貰うと、血液型や右脳型か左脳型かがおおよそ分かると聞いたことがある。

 

私は、口頭での説明が苦手だ。

というより下手だ。

はっきり言うなら、下手くそだ。

でも、文字にして下さいと言われると気分が楽だ。

相手に伝わりやすいかどうかは、また別な話だが。

 

 

何かを説明するにあたって、上手に絵に描いて分かりやすく説明する人や、細かな描写をイメージさせるような説明の仕方をする方、ポイントだけを短く説明する方、身ぶり手ぶり、スマホの画像や手元にあるもの全てを使って説明する方。

相づちを打ちながら、人それぞれでなかなか面白いなあと思うことしばしば。

 

人って面白いなあと、妙に親しみを感じるのである。

 

そうやって、この木のプレートを通してデザインして作った方にも妙に親しみを感じたのである。

女性だったのだろうか、それとも男性だったのかな、どこに住んで今、何をされているのだろうか。

 

 

 

 

ほら。

マツポックリ、いや葉っぱの木のプレートに、

なんとなく似てると思いません?

 

やっぱり、そう見えるのは、私だけ?

 

 

 

 

 

 

2018.01.14

ここに生きる

 

 

 

初めて北欧スウェーデンを訪れた時は5月の後半だった。

飛行機を乗り継いでやっとホテルの部屋に辿りつき荷物を解放すると、ほっとしたのかベッドの上でガイドブックを読みながらうとうとしてしまった。

はたと目が覚めて部屋のカーテンを開けると、空が白く明るかった。

 

!!え?

あのまま夜が明けたのか?

時計を見ると9時過ぎだった。

太陽がいない朝。

ナイトテーブルのデジタル時計の数字は、21:20と点滅していた。

 

 

 

 

白夜か。

 

九州にしか住んだことのない私にとって、寒い国の生活を垣間見るのは、とても新鮮で当たり前への問いかけの連続だった。

長い長い極寒をしのぎ、春が訪れるのを極限まで待ちこらえていたかのように噴き出す新緑たち。

ほとんど絶叫に近い鳥のコーラスは、もはや喋っているのではないかと思えるほど。

春の陽射しは、こんなにうっとりするような匂いを含んでいただろうか。

 

強烈に、春を感じた瞬間だった。

 

それでも暖かい上着がないとまだ街を闊歩という、爽快な日本の5月には程遠い。

 

湖が多いこの街は、あるエリアに行くと小さなサマーコテージが点在している。

コテージのデッキでロッキングチェアを揺らしながら、ぼんやり空を見上げている人。

風が吹き渡る芝生の上に大きな布を広げ、寝そべって新聞を読んでいる人。

湖畔際の大きな石の上でもくもくと読書をしている人達などを多く見かけた。

中には、サングラスをかけた半裸の男性もいた。

しかも、ほとんどみんなひとりで過ごしている。

 

みんな、外で何してるんだ。

読書するには、太陽の光はしんどい気がするけどな。

 

 

後に知ったのだが、太陽を何ヶ月も見ることができない冬が終わると、この国の人々は1日でも長く太陽の光を浴びたくて、天気のよい日はみんな外で過ごすのだという。

 

日向ぼっこというやつだ。

 

ストックホルムを訪れてやっと理解できた。

北欧のインテリアデザイナーたちが歴史に残るほど多くいるのは、自然派生的な結果でしかなかったということだ。

 

それほどに恋しい太陽を思い照明器具をデザインし、長い冬を過ごすのに肌触りのよいフォルムの温かみのある木調家具や、長時間座っても疲れない座り心地のよい椅子。

家の中で過ごす時間が長いから生まれた機能美。

 

 

日本でも、北の方には優れた家具メーカーや民芸品が沢山ある。

それは単に素材が多く手に入ったからではなく、気候や風土、食生活と、慣習。

そこで生きてゆくことを受け止める時間が生んだものなのだ。

改めてそう思った。

 

同じ国でも、気候が違えばしつらえも変化する。

 

自分が住む街のよい面、苦手な面。さまざまな面々。

それらを全て受け止めて、楽しむ。

慈しむ。

愛しむ。

 

それらを愉しむ術を知らなければ、例えそこに住んでいても、胸をはってそこで生きているとは言い難い気がする。

ここに住むこと。と、

ここで生きていることは、全く意味が違うのではないか。

 

そう。

ストックホルムの湖畔にいた人々は、あの時、まさしく太陽を愛おしむ時間を満喫していたのだ。

 

日向ぼっこを誰にも邪魔されずに満喫する時間。

なんだか、贅沢な時間の使い方を知っている人々に思えて、ちょっぴり羨ましいような気持ちになったのを今でも覚えている。

 

 

 

 

 

2018.01.05

Happy New Year 2018 !

 

 

 

皆様、新年明けましておめでとうございます!

 

昨日よりゆるく始動しましたフォンテスキーです。

 

 

 

 

 

あれよあれよいう間に1年が過ぎてゆくのですが、そんな中、昨年からじわじわやりはじめた、当たり前の見直し。

 

ルーティンになってしまっている仕事や生活を、これって本当に必要なのだろうか、実際はどういう受け止め方に届くのだろう。

代わりに目を届かせるべきことがあるのではないか。

 

そんな風にして試してみた当たり前の見直し。

これが、なかなかに楽しい。

ちょっと不便だったり、照れくさかったり。

それが何になるって、

新発見をするのです。

 

今まで、同じ場所に行っても目に入ってこなかったものが、見えてくる。

探し物をする時に、あれがない、これがない、と思って探すとすぐそばにあってもなかなか見えてこないらしい。

大人になると人間の目は見たいものだけを見ることができるからだそうだ。

確か、耳もそうだとか。

 

目や耳が認識しても、脳へ届ける回路がシャットダウンしているから、実際に見えなくなったり聞こえなくなったりする現象のひとつであるらしい。

 

年を重ねてゆくと思考や刺激を受け付けず、狭まり、ルーティン王道な日々に陥りがちだ。

今年は、も少し歩調を緩めて少しよそ見や、立ち止まって耳をそばだてることを意識して、当たり前の見直しを違った角度で進めながら、視野を広げたいと思っている。

そして、日々完結‼︎

 

そんな自分の中のちっちゃな決め事が、新しく作る作品たちに反映されるように、精進しますので今年もよろしくお付き合いくださいませ。

 

皆様、よい一年にしましょう!!

 

 

 

 

2017.12.28

2017年しめくくり

 

 

 

今年も余すところあと3日となりました。

振り返ると1年間でいろんなことが起こるもの。

それに伴い様々な感情や考えが去来し、全て過去となり1年をしめくくる頃に、穏やかに健やかでいられることは、とても有難いことだ。

 

 

 

 

来年、チャレンジしてみたいこと。

改めたいこと。

進めたいこと。

 

いろんな思いが頭の中をよぎる。

 

この仕事を続けられるのは、かかわる皆様、そしてこれからかかわるだろう皆様のおかげ。

 

おかげさんです。

そのことに深く深く感謝致します。

合掌。

 

皆様の周りに抱えきれないほどの幸福が溢れる新しい1年となりますように!!

 

一礼。

 

 

 

 

2017.12.22

道具と風情

 

 

ちょっと面白いお店があるのよ。

数年前、友人に連れて行って貰ったお店は、タイムトリップしたようなものを集めたリサイクルショップだった。

 

 

 

 

そこで、ちょっとモダンなスリムさの小さめの洗濯板を見つけた。

思えば私の生活はこの一枚の洗濯板がきっかけで、少しずつ方向転換を始めたような気がする。

 

時短な家事が謳い文句の便利家電や、生活用品が溢れ始めている現代風潮の最中、まさに逆行した方向転換。

昔ながらの生活様式を取り入れると、確かにどれもこれも一作業、二作業手間がかかる。

こんな手間なことやめちゃおうかな、そう思うこともあった。

しかし、習慣化してくるとその手間を打ち消す何倍もの新しい連鎖的発見と楽しさに気づき、いつの間にか手間は、うるおいに変化し、機嫌のよい平穏さを日々感じるようになってくるのである。

 

道具というものは、手の代わりをつとめたり、人間の力ではどうにもならないことを補ってもらったりするためのもの。

もちろん時間の節約は、言わずもがな。

 

しかし、この頃では道具に道具自身のクリーニングという後始末までさせてしまうものもある。

人間はどこまで図々しく怠け者なのかとふと恥じる。

道具に道具以上の役目を求めるというのは、果たしてどうなんだろう。

人が道具の力を借りて作業を成すのだから、せめて道具のメンテナンス位は人がやるべきではないか。

と、自戒する。

 

不思議なもので。

手間をかければかけるだけ、生活のひとつひとつに命が入り込むようなきらめきを感じることがある。

 

風情や趣とは、手間をかけるからこそ生まれるものであり、その手間を省くと風情や趣は途端に飾りものとしてなり下がってしまう。

 

これは、生活だけでなくどんな仕事にも通じているように思う。

誰かが言った。

生活を粗末にすることは、自分を粗末に扱うことに等しい。

そんな人が良い仕事をするとは、到底思えない。

 

的外れな言葉ではないように思える。

 

良い仕事をする。

それは、目に見えない地味な手間の部分が作り上げるのだ。

飾りものではない純然たる風情や趣のようなものを、人の心にそっと残せるような仕事ができるようになれるよう、まずは生活からだ。

昔ながらの生活様式をちらちらと取り入れることで、そんな風に思うようになった。

 

我が家にやって来たちょっとモダンなスリムさの洗濯板に、今更ながら、ありがとう。