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2021.05.16

ピアノコンチェルトとカフェメランジェ

 

 

 

 

 

週末、ロシアのピアニスト、ダニール・トリフォノフのピアノコンチェルトをYouTube にて聴いた。

 

気にはなっていたアーティストだったが、ここのところの変化した生活で、すっかりコンサートとも縁遠くなり忘れかけていたところ、偶然、知り合いが薦めてくれてハッと思い出した。

 

 

 

 

 

演目は、ラフマニノフのピアノコンチェルト第三番。

 

YouTubeのメリットは、演奏者のクローズアップ。

目視できない程の白く長い指の動きと、鍵盤の右端から左端までを行き来するしなやかさと演奏者の全身表情。

こんな曲だったかなあ。

繊細でキレがあり、優美。迫力と凄み。

演奏者が変わると、全く違って感じるのがクラシックの醍醐味。

何百年演奏され続けているというのに新しくあり続ける。

古びない。

とてつもない境地。

だから、さほど詳しくない私のような人間でもそれなりに楽しむ寛大さがあり、常に入り口はワイドオープン。

 

演奏者が立ち上がると、思わず拍手しそうになった。

 

嗚呼、生演奏聴きたい…

 

オーケストラを聴いたのはいつが最後だっただろうか。

そんなことを思っていたら、ウィーンの街を思い出した。

ウィーンへ旅した時、列車でハンガリーのブダペストへと足を伸ばした。

 

あの時あちこちのカフェで飲んだ、カフェメランジェ。

美味しかったなあ。

 

旅から帰ったらすっかりはまってネットでミルクスチーマーをゲットし、カフェメランジェタイム楽しんでた。

 

なんだか喉渇いてきた。

そうだ!

しばらくぶりにカフェメランジェ作ってみよう。

カップはあれにしよう!

ブダペストで見つけたかなり個性的な食器ブランド、ピップコレクションのデミタスカップアンドソーサー。

ピンクとブルーと金の3色使い。

ソーサーもカップも全面にかなり盛りだくさんの絵付けだが、柄の配分と色の濃淡全てのバランスが絶妙でうるさく感じない。

この不思議なバランス感覚に感激し、珍しいお買い物選択だったが今でもお気に入りで、カップのイメージに合いそうなお客様がお見えになったらこれでお茶をお出しすると、決まって驚かれる。

 

どうやら、私はこんな食器を持っていそうにないように思われるらしく、まさかこんな食器が私の食器棚から出てくると思わなかった。

おおよそ、そのような感想を耳にします。

個人的には、そんなお客様の反応を楽しんでいる節がある。

 

コーヒー豆を挽いて、コーヒーが落ちる頃に合わせて、同時に沸騰させないようにゆっくりミルクを温め、適温になったら勢いよくスチーマーで泡立てる。

カップにあわあわのミルクをなみなみと溢れ出さんばかりに盛る。

ぷるぷると揺れる泡のミルクを見ていると自然と笑顔になる。

ふわふわのミルクの上からそっとコーヒーを注ぐ。

ミルクの泡とコーヒーが混ざり合う音を聞く瞬間は、幸せ感たっぷり。

カフェメランジェは、飲むより作る時間の方が幸福感を得られる飲み物ではないかと思う。

 

コンサート後のカフェメランジェタイム。

 

今夜のコンサート、よかったなあ。

 

でも、やっぱり生演奏聴きたい。

 

それでもこうやってYouTubeでコンサートを聴けるのだから、今の時代だからこそこの生活もかつての楽しみと置き換えながら、気持ちの置きどころを変えながらバランスを崩さずにやってゆけるのかもしれない。

 

でもなあ、やっぱり生演奏聴きたいなあ。

どんなにリアル感があっても、人と人が作り出すエネルギーを肌で感じる、あの感覚にはなり得ない。

現実と仮想現実は比べられない次元にある。

そう思うのである。

 

 

 

 

 

 

2021.05.13

ハーブのブーケと素敵な贈り物

 

 

 

先日、来客中に軽くて大きな箱が届いた。

箱を開けるとふわっと良い香りの花束が、まるで白い紙のおくるみに包まれたふわふわの赤ちゃんのようにして入っていた。

 

 

 

 

 

そっと取り出すと、素敵なハーブのブーケだった。

一気にお部屋中が、爽やかなハーブの香りに包まれて深い深呼吸をひとつ。

ちょうど居合わせたお客様は、ボタニカルアートを専門としたイラストレーターだったこともあり、2人でしげしげと眺めいりつつ、くんくんと爽やかな香りを満喫した。

 

高知のハーブ園からで送り主は友人の名前だった。

その日は私の誕生日。

 

送り主は、年齢は私よりも随分若いのだが親しくさせて貰っている遠くに住む友人で、妹のような存在でもあるけど、しっかり者。

初めて会った時にお話ししててなんだかとっても興味を持つものが似ているなあと思っていたら、のちに同じ誕生日だと分かりぐっと親近感。

以来、よいお付き合いをさせて貰っている。

 

ハーブのブーケがこんなに贅沢な気持ちにさせてくれるとは、頂いてみて改めて感じたことです。

 

そして、別便でもうひとつ贈り物が届いた。

開けたらびっくり。

絵本だった。

 

これまで友人と話した事はなかったけれども、先日の私のブログで絵本に興味があることを知って、再び親近感を感じてくれたらしく友人の大好きな一冊の絵本とお茶が入っていた。

こんな時期だけどささやかなjoyを見つけて過ごしましょう。

 

そんなメッセージを貰った。

 

贈り物選びは、なかなか難しいものではある。

でも、相手の好みや喜びそうなものを知っていると、選ぶのも結構楽しい。

 

一年に一度の誕生日。

女性は、年齢を重ねるのを嫌がる方がいますが、私はいくつになっても健康に迎えられたら嬉しく思うものです。

 

素敵な贈り物をありがとう。

 

そして、世界中の5月生まれのみなさんへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021.05.09

とっておきのライブラリタイム

 

 

 

忘れかけていたことや少しでも気持ちが動くのであれば飛び込んで実際にやろう。

そう自分に決めたのは、昨年から始まったこの生活の渦中でのこと。

 

 

 

 

先月から絵本と積極的に触れるようにしている。

これは、忘れかけていたことのひとつ。

10年以上前に図書館の絵本コーナーに通っていた時があった。

目的は、表現するという観点から、絵本の削ぎ落とした世界に自分なりの表現への学びを得たかったからである。

 

 

ストーリーも言葉も極限に削ぎ落とした表現。

そしてそこに添えられている絵は、ページを見つめる人間の想像力に強力なスイッチとして働きかける。

何冊何冊も読んでいると作家はどこを切り落として何を引き立たせたのか、それをどんなタッチの絵でどんな色で表現しているのか。

そんな目を持って何度も何度も読みたくなる絵本に出会う。

 

今回、とても気に入った絵本に数冊出会った。

中でも絵本専門店で、別な絵本を探していた時に何故か惹きつけられるようにして手にした絵本が、私をとても魅了した。

 

ポーランドの絵本作家ユリ・シュルヴィッツが、唐の詩人、柳宗元の漢詩「魚翁」からインスピレーションを得たという絵本。

 

 

 

 

 

この絵本は、色はあるというのにまるで墨絵のような不思議な感覚を与えることにまず驚いて、巻末の作品紹介の中に唐の詩人の詩がベースになっているという件を読み、合点した。

その後、もう一度改めてページをめくると、

ストーリーの時間軸が絵本の中の余白にも反映されていることに気づいた。ラスト数ページは絵であるのにまるで写真をみているような錯覚になり、次にその景色の中に自分自身が入り込み、目を細めたくなるほど眩しさを感じたり、風が頬に当たっているかのような感覚におそわれた。

主人公が体験していることが自分自身の体験に完全に置き換わり一致した感覚になったのだ。

 

凄い。

詩人の作品を絵本作家のフィルターに通して、新しい表現で生み出す。

こんな表現方法もあるのか。

 

とても感激した。

この絵本は手元に置いておきたい一冊だと思い、探していた絵本は次回にしてそのままレジに向かった。

 

こんな素敵な出会いがあった時は、とっても満たされて心弾む思いである。

秘密にしておきたいような。でも、誰かに伝えたいような。

 

もし、ご興味を持たれたならば、絵本の「よあけ」と柳宗元の「魚翁」と合わせてご覧くださいませ。

 

山を知っている方は、きっと心に満ち満ちと広がるでしょう。

嗚呼、この感覚は、あの感覚だ。

と。

 

今、私のとっておきのライブラリタイムは、何冊かの絵本に占められている。皐月の風の下、ベランダにお茶と絵本を持って腰かけて青空の下でゆっくりとページをめくる。

自分なりの幸せな時をかみしめる手段があること自体が、幸せなのだろう。

 

人生は、自ら探しに出かければ出会いに満ち溢れているものなのでしょうね。それは、必ずしも特別な場所に出かけることではなく、過去の体験から引き出して今の自分で体験してみる。

それだけでも新しいに出会える。

 

そう思わせてくれた一冊でした。

 

 

 

 

2021.05.03

紫の気品

 

 

 

 

友人に誘われて北九州八幡の河内藤園を訪れた。

 

開墾が始まったのは、50年以上前。

1000坪の敷地にはそれはそれは見事な藤がまさに満開であった。

 

 

 

 

今年は桜もあっという間で、ゆっくり見るチャンスはなかった。

地元であるのにまだ一度も訪れたことがないという北九州の友人からの誘いで知った河内藤園は、かなり知名度がありいつもは海外からの観光客もかなり多いとか。

 

 

 

 

早朝の澄んだ空気に包まれた藤のトンネルと藤棚では、時折吹く冷たい風が天から伸び降りている藤の花を静かに揺らす。

気品ある藤の香りがあたりの空気に混じり合い揺らめく。

先端に進むほど小さな小さな蕾の赤ちゃんも蕾の先には紫が覗き、これから花を咲かせる準備をしてふっくらとしている。

風が吹くと先端は上の花の密集した部分より少し遅れて大きく揺れる。

その揺れは、甘やかな残り香を伴い、すれ違う女性のようでなんとも優美で艶っぽい。

 

 

 

 

藤は、木の幹がどっしりとしていて、まるで空を仰いで大きく手を広げているようだ。

どの木もかなりアーティスティックなフォルムだ。

やはり、自然美にはかなわない。

生命力に溢れたみなぎるエネルギーが、形を生み出している。

生きる力の道筋が美になる。

 

かなり見事な藤園だった。

春の桜は味わえなかったが、大好きな紫色の世界に身を置けた時間は、とても幸せで幻想的な時間だった。

 

 

 

やはり、私にとって紫はとても落ち着く最も好きな色だ。

誘ってくれた友人に感謝。

 

 

 

 

 

 

2021.04.26

靴の中の石ころ

 

 

 

引越しをきっかけにアトリエを別にしたことで通勤感覚が加わり、1日があっという間に終わってしまう。

なんとなくこれまでやれていたことが出来なくなって、もやっとしながら数ヶ月が過ぎていた。

 

しかし、ここにきてようやく時間配分がうまくできるようになった。

引越しの荷物に混じってしまっていた慣れ親しんだ自分の時間の流れが、思わぬ箱から出てきた。

そんな感覚である。

きっかけは、友人から借りた本だった。

 

事実に基づいた作品を書くことで定評のある作家の上下巻構成の歴史ものであったのだが、それはかつて授業で見聞き知っていた記憶をがらっと上塗りするような内容で、その興奮と衝撃、知りたい欲というものが、ちょっと大袈裟だが、かつて持っていた時間配分力というものに作用したようだった。

 

読み終わってみると、結局、読書のためにやらなかったことというものは特になかったということに気づいた。

なんだ。やれるじゃないか。

 

 

 

 

 

どうも、ここのところ、

あれをやらなきゃなあ。

いつ?今日は?

そうね、今日じゃなくて…週末あたり。たぶん。

 

こんな会話を自分と繰り返してきたよう気がする。

ものごとのせいにしたくはないが、昨年からの世の中の変化が日々心の中に引っかかっていて、まるで小さな石ころの入った靴で歩き続けているような気分。

何度靴を脱いでみてもどうしても石ころが見つけられない。

そんな心持ちのまま過ごして、見つかりもしないその石ころのことばっかり考えていた。

 

履き慣れた靴に変えればよかったのか。

 

新しい生活様式になる。

世間が変わる。

価値観が変わる。

その変化に沿うように自分自身も変わらなければいけないんだ。

その言葉に不安とたとえようにない焦りを感じていたが、自分自身がほっとする時間や場所までは、そう急には変化しない。

変化が必要な時は今感じているような違和感は小さくなり、無理をしていない形で自発的にそこへ向かうだろう。

 

 

これまでの自分を取り戻すのにきっかけとなった本を貸してくれた友人に、

ありがとう。やっとあらゆるスイッチが入ったよ。

そんなメールを送った。

 

生活する時間の使い方にようやく自分なりのリズムを生み出せるようになった。

そのことはとても心を軽くしてくれて、いつか行こうと思っていたすぐ近くの植物園に出かけてみた。

我が家の玄関出てからたったの15分で行けた。

こんなに近くだったんだ。

 

こんな時間も作ろうとしていなかったのか。

 

時間にはリズムがある。

植物園を歩きながらひたひたとやすらぎの時間が満たされるのを感じた。

 

靴の中の石ころ。

靴を履き替えるか、それでもだめならたまには裸足で歩いちゃうか。

それでいいんだよな。

 

その日、その日で変えながら自分の時間を過ごそう。

スイッチは人それぞれであり、自分の周りにあるいつものものが作用するものなのですね。

 

いつもの自分。

それは、最高に贅沢な自分なのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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