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2022.05.12

挑戦の先にあるもの

 

 

 

 

昨日、北九州戸畑にあります国指定重要文化財、旧松本邸で行われた薔薇のコンポジション作りのイベントに参加させて頂きました。

主催は十字屋カルチャーセンター事業部さん。

 

明治の建築家辰野金吾氏の設計のアール・ヌーヴォー様式のデザインの空間にて行われたイベントで、ご縁ありまして薔薇の花のある小さなテーブルコーディネートをさせて頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

講師役を務められましたロイヤルフラワーアレンジメント正教授、O氏は、

長いお付き合いのお客様でもありますが、今回のイベントに小さなテーブルコーディネートを出されてみませんか。

と、驚きの依頼を頂きまして勉強もしていないので随分と腰が引けましたが、私の感覚で良いとのことで私物の器や小道具を一式持ち込みでチャレンジしてみました。

 

テーマは、「自分をもてなす日」ということで、季節の花、薔薇のあるテーブルで、旬の食材を日本酒で味わう夜のシーンの設定にしてみました。

 

調光できるアナログな灯、アルコールランプという日常と違うお客さまをもてなすような演出で、ご自身をもてなす。

日常使いで楽しんでおります越前塗りのお盆の上にお花の形の深めの塗り、その中にカットのきれいなガラスの小皿を重ねて、いつもと違った表情を出してみました。

塗りの艶を背景にガラスのカット模様が浮き上がり、ゆらめくランプの灯りのもとで、食す今が旬の翡翠色した空豆が架空のおつまみという想定。

 

塗りのお盆の上の食器は滑りやすいので、備後絣のハギレで作った小さなマットを敷いて、漆の気取った気配に少し温かみをさしたつもり。

 

テーブルクロスは、小倉織の縞々の特大風呂敷を代用。

おつまみは、お箸か自宅で使うために作った銀のピック(まるでいつも作っているアクセサリー的なデザインですが)どちらかお好きな方で頂く。

 

といったテーブルにしてみました。

 

静かな大人のもてなし日。

そんなイメージにまとめたつもりです。

 

 

 

薔薇の花は摘みたてでとっても良い香りがして、いけている間もしあわせな気分になりました。

お花やテーブルのレッスンを受けられた方がいらっしゃる中でテーブルを出すというのは、とても気後れしましたが、写真を撮ってくださってる方がいらっしゃって、内心ホッとしました。

 

そして、イベントの中のフラワーレッスンで仕上げた私のアレンジメントは、こちら。

 

 

フラワーベースとはまた違った楽しみ方ができるのが、アレンジメント。

何度レッスン受けても、皆さんのアレンジに学ぶことばかり。

 

実は、昨日は、誕生日でした。

ランチコースの最後のデザートの折り、さり気なく嬉しいご配慮賜りました。

 

 

 

 

 

いつもと違う別な世界を勉強させて頂き、不慣れ故、主催者の皆様や参加者の皆様に申し訳ない部分も多々ありましたが、おくさず新しいチャレンジをしてみてよかったです。

 

挑戦の先には、ヒントと気付き、そして感謝が溢れてくる。

今年も挑戦を織り込みながら、肉体と精神の健やかさを保ちつつ制作に精進したいと思います。

 

 

 

 

2022.05.01

下駄デビュー

 

 

 

 

昨年、感染者が極端に落ち着いていた頃に信州松本を訪れた。

 

少しだけ仕事も兼ねてはいたのだが、興味対象ごとが似通ったフリーランスの友人を誘った旅は一泊2日とは思えないほどの充実した旅だった。

 

 

 

 

 

 

 

信州松本に着くとまず訪れた歴史ある和菓子屋で、案内を見つけた近くの呉服屋さんに立ち寄ることにした。

呉服屋の旦那さんはとても気さくで、観光客慣れしたお話し好きと見受けられ、私の持っていた地図を目にするとすぐにおすすめのお店やお土産、美味しい蕎麦屋などなど持っていた地図に丸をつけながら、お店の名前や情報をどんどん書き込んで下さった。

 

教えて貰ったお店をほぼ忠実に見て回っていたら履物屋さんを見つけた。

 

あ。私、下駄欲しいのよね。このお店入ってもいい?

 

え?下駄?あなた着物も着ないのにいつ、どこで履くの?

ま、いいわ。入ろ。

 

友人は私の意外な提案になんだか怪訝そうだったが、豊富にある下駄の鼻緒を見ていると、友人は大興奮し始めた。

もう、お店の方の説明を被せるくらいの興奮ぶりで、お店の方と友人が同時に喋っている状態に、

ちょっと、ちょっと落ち着いて。時間まだまだあるから。

と苦笑いで制したほどだった。

 

日本人の足元は下駄だった時代から時は経ち、装いの変化に合わせて履き物も随分と多様化している。

それに伴い、体型や姿勢も変化しているように思う。

鼻緒が変わるとガラッと下駄の顔が変わる。

台に合わせると浮かび上がる表情の違いがとても楽しい。

呉服の世界はこうやって柄や色、素材の取り合わせを眺めているだけでもわくわくするのですから、着物の世界に首は突っ込んでいないとはいえ、この楽しさはまるで魔物。

いやはや女性とは困った生きものです。

鼻緒だけでなく下駄の台にも様々なスタイルがあることを知った。

 

駒下駄。

高下駄。

千両下駄。

舟形下駄。

日和下駄。

右近下駄。

ぽっくり。

 

そして台の素材、そこに塗りを施したもの。

いろんな下駄を実際に履かせて貰い店内を歩いてみた。

木の質感が素足に心地よく、下駄によっては足の筋肉の使い方が靴とは違いぎこちなくなった。

音もよい。

表の石畳の道を小走りしてみたくなった。

わあ、面白いなあ。

 

相変わらず、友人はきゃあきゃあ言いながらこれもいいな、あれもいいな。それもいいね。あなたどれにするの。と、目移りして大騒ぎ。

結局、友人は馬の毛で織った品の良いオフホワイトの鼻緒を選んだ。

お茶会の時に履くのだそうだ。

 

私はと言いますとあれこれ迷った挙句、鼻緒は深い茜色の図柄のもので、台は右近下駄で、なるべく白めの木肌でリクエスト。

前坪は赤でお願いしまして、履き慣れないから滑り止めも張ってもらうことにしました。

 

1時間後くらいにもう一度来てくれたら鼻緒すげときますから、松本の街を楽しんでください。

 

と履物屋の女将さんが笑顔でご挨拶してくださった。

 

お店を出ると、入る時とは真逆の興奮状態の友人が私に尋ねた。

 

ねえ、浴衣持ってるの?いつ履くの?

 

夏になったらきれいめのワンピースにミュールじゃなくてあえて下駄で合わせたいんだ。

軽いから旅先に持って行っても、ホテルの部屋で履けるしいいと思わない?

 

ああー、いい!それ!

私も真似しよっ!

 

1時間後、鼻緒がすげられた下駄は、なんとも優しさと清潔な感じが漂っていた。

 

私たちが店を出た後、女将さんが二足とも鼻緒をすげたらしい。

これまでは鼻緒は旦那さんがすげていたらしいのですが、大病をして入院しお店に立てなくなったので女将さんがひとりでお店を切り盛りしながら少しずつコツを覚えて、すげられるようになったという。

おかげで早くなりましたよ。

たくさん履いてまた次に松本来る時、下駄持ってきて好きな鼻緒を選んだらいいですよ。

またすげてあげますから。

 

色白で華奢だけれどもちゃきちゃきの女将さんが、笑顔で私たちを送り出してくれました。

 

やっと履ける季節になってきました。

下駄デビュー、間近です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022.04.28

今日という夕どきの空

 

 

 

 

随分若い頃に見た映画でタイトルは忘れてしまったのだが、あれは確か香港映画だったように思う。

 

主人公のカメラマンが漸く世間に認められて活躍し始めた頃、最愛の人がある日突然、交通事故でこの世を去る。

いつものように其々に仕事に向かうため交わした朝の挨拶が最期となる。

あまりにも残酷な現実をまるで消し去るかのように、過剰なほどに仕事を請け負いカメラマンとしての知名度は益々上がってゆく。

 

そんな生活の中、ふっと甦る再び会うことのできない最愛の人の笑顔が脳裏に現れて、たまらないほどの寂しさに押しつぶされそうになる。

日増しにその頻度が増えて、仕事のバランスを欠くほどになり、主人公は寂しさを乗り越えるために、無性に思い起こされる時は空の写真を撮影するようになる。

撮影した空の写真のフィルムを詰めた缶が、溢れそうに溜まった数年後、最愛の人の名前をタイトルにその空の写真の個展を開催するシーンがエンディングだったように思う。

 

ストーリー自体は、大きなクライマックスもない淡々とした感覚だったが、空を見ていると誰かをふと思い出すことがある。

その心理というものは、言語や文化を越えてどんな国の人間も同じなのだなあと感じたものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうひとつ気づいたことがあった。

その映画の中に出てくる空の写真は、ほとんどが雲のある写真だったのだ。

そうか。

絵になる空というものは、雲があった方が圧倒的にサマになる。

もちろん、心情的にはピーカンの空の写真は不釣り合いな演出ではあるという理由もあったかもしれない。

ストーリーは別な話としても、雲ひとつない青い空がイチオシなイメージで得をしたような気分になるものだが、空をドラマティックにするのは、実は雲という存在なのだ。

真っ赤な太陽が地平線に溶けるように沈む姿よりも、太陽の姿は見えないが

確実に落ちてゆき、変化する光のスペクタクルとの即興がまたとないライブショウとなり、人の心を沈静させてくれる。

 

思い出したくないこと。

忘れたいこと。

それらがあるから、今が輝く。

 

最近、夕どきの空、見ましたか…

 

 

 

 

2022.04.21

ブームという渦中の側を横切る

 

 

 

 

巷では大型連休なるものが近づいている。

 

サラリーマン時分にはどんな過ごし方をしていたのか、その間、自分自身にも数々の変化が生まれたこともあり、記憶を辿るのも容易ではなくなってきた。

 

 

 

 

数年前に始めたトレッキング。

最近では空前のキャンプブームも重なり、登山口近辺に設営されているキャンプ場は昨年あたりから無料駐車場が有料化になっている。

我が街福岡も、閉鎖された遊園地や広い敷地の公園などがこぞってキャンプ場やグランピング施設へとシフト運営のニュースを耳にする。

 

休日には、設営された色とりどりのテントが驚くほどにひしめき合っている。

つい3年前には目にしなかったことなので、改めてブームの渦中であるという現実を実感するほどだ。

 

少し地味めの山となると登山道を進む人は、そう多くはない。

 

キャンプ場の喧騒を過ぎて山に入ると、心がすうっと静まるのを感じた。

その感覚は街の中心へと出かけ用事を済ませ、自宅の最寄りのバス停を降りた途端に感じるものと至極似ていると気づき、これでは日常生活と大差ないのではないかと不思議な感覚になった。

 

トレッキングは、登山口からスタートするのではなく、前日の準備から始まる。

地図アプリをダウンロードし、ルートと地形、自分レベルでの所要時間を計算。

気温や風速、災害などによる通行止め登山道がないか調べ、休憩ポイントや景色のポイントをチェックし、行動食や水分、お弁当の準備、適切な体温調整のレイヤリングに合わせたウエアの準備。

 

山での過ごし方から全てを逆算した準備をする。

 

登山口は基本的にある程度の高度にあるので、登頂する山が見え始めると住宅は減り景色はがらっと変化してゆく。

車が離合できるかどうか際どい蛇行路を延々と進みながら少しずつ上がる高度を、時おり開ける視界の先に見える遠くの街並みで実感するのである。

登山口の駐車場に着くと先着の車のまわりで、登山装備の人々が入山への準備に余念ない姿を確認する。

どこからやってこられたのだろう、縦走コースで途中テン泊予定なのだろうか。

そうやって静かに挨拶を交わし、其々が山へと入ってゆく。

 

前日からスタートしているトレッキングの静かな本番スタート。

早朝暗いうちから自宅を離れ、徐々に景色が一変し山へと近づいてゆくこの登山口までの道のりと連動した心の静まってゆく時間、心の中から言葉が減ってゆく時間が、私にとってのトレッキングにはとても大切にしたい部分なのです。

 

キャリアの浅い私ごときが語るのも憚れるのだが、おそらくトレッキング愛好家の大半の方々も、登山口手前からこのフェードアウトしてゆく静の時間に味わいを感じているだろうと思う。

 

登山口に着くとこぼれ出している音楽や溢れている人とテント、車。

喧騒化しているキャンプ場に心が混乱したほどだった。

 

 

なんと表現してよいのだろうか。

個人的に、はみ出している感覚がどうも苦手である。

他人より少し過敏なところがあるのかもしれない。

 

店舗の外、公共の道路に、はみ出す音楽や商品や広告旗。

気分のままに必要以上の爆音轟かせて走り去るバイクや車。

誰かが話している会話にまで、はみ出してくる別な誰かの私ありきな会話。

誰かの意思ある行動を、阻止したり、方向転換させようとする別な誰かの執拗なほどのはみ出した思考による発言。

 

領域を侵す。

これは、人であれ場所であれ、あまり心地よいものではない。

 

 

新渡戸稲造が、外交の一環として解りづらい日本人の気質を「武士道」として書物にし、世界中の人々に言語化して伝えた歴史的人物であることは周知のこと。

 

その書物の中に出てきた日本人が持ち合わせているとされていた言葉が思い起こされた。

 

わきまえる。

 

わきまえることは、人が生きてゆく中でつい忘れがちなことである。

キャンプ場の喧騒、ブーム渦中の側を横切りながら自省した次第であった。

 

 

 

 

 

 

2022.04.11

心の目が合う瞬間

 

 

 

先週は心地よい青空が広がる日が多かった。

 

週末、友人でもある抽象画家 NAKA SHINICHI氏の個展に行った。

今回は、ギャラリー併設のカフェのタグスタでの個展。

 

 

 

 

 

 

 

新作のwhitelines:2022 シリーズ。

画家と出会ったのは、私がこの仕事を始めた頃。

かれこれ20年くらい前だろうか。

友人の誘いで初めて個展に行った後、とても惹かれるものがありほかの作品も知りたくて改めて帰宅後画家のホームページを観た。

やはり、いいな。いつか必ず!

こっそり決意して、それからほぼ毎回個展には、足を運んだ。

作品との出会いを求めてどのくらい経った頃だっただろうか。

10年はゆうに過ぎた数年前のこと。

佐賀での私自身の個展があり、最終日を終えた夕刻、ちょうど同じ佐賀市の別なギャラリーで個展中だった画家の個展会場にぎりぎり駆け込んだ。

 

あ!

まさに作品と目が合った。

 

それまでずっと黒基調の寒色ばかりに目がいっていたのだが、心に飛び込んできたのは、少し大きめのスクエアシリーズの赤の作品だった。

一度視線を外し、会場全部の作品をぐるっと眺めてみた。

 

一点だけだ。

唯一赤を使った作品。

過去にもなかった色。

大きさも理想的だった。

 

そうだ。これだな。

探していたのは、実は赤だったよ。

 

意志、勇気、決意、覚悟、怒り、愛情、嫉妬、競争、生命、慈愛、冷静

人が持ち合わせているあらゆる心のうちを内包して違和感のない色。

ドットの中にいろんな線と形が浮かび上がってくる。

自宅での居場所もすぐにイメージできた。

 

待っていてよかった。

そう思った。

 

後で画家に聞いたのだが、赤は過去にも何度もチャレンジしたがようやく作品になった。と。

 

その後も個展にはほぼ毎回足を運んでいるのだが、心に留まるものがありコレクションしたくなる気持ちをコントロールしながらの帰路なのです。

 

アートとの出会いは、そんなふうに時間をかけてよいのではないかと思う。

 

 

展示は5月5日まで、タグスタ店内ギャラリースペースにて。

 

 

作品と心の目が合う。

そんな瞬間が、人生にあることはとっても素敵だと思うのです。

 

 

 

 

 

 

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