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2021.04.26

靴の中の石ころ

 

 

 

引越しをきっかけにアトリエを別にしたことで通勤感覚が加わり、1日があっという間に終わってしまう。

なんとなくこれまでやれていたことが出来なくなって、もやっとしながら数ヶ月が過ぎていた。

 

しかし、ここにきてようやく時間配分がうまくできるようになった。

引越しの荷物に混じってしまっていた慣れ親しんだ自分の時間の流れが、思わぬ箱から出てきた。

そんな感覚である。

きっかけは、友人から借りた本だった。

 

事実に基づいた作品を書くことで定評のある作家の上下巻構成の歴史ものであったのだが、それはかつて授業で見聞き知っていた記憶をがらっと上塗りするような内容で、その興奮と衝撃、知りたい欲というものが、ちょっと大袈裟だが、かつて持っていた時間配分力というものに作用したようだった。

 

読み終わってみると、結局、読書のためにやらなかったことというものは特になかったということに気づいた。

なんだ。やれるじゃないか。

 

 

 

 

 

どうも、ここのところ、

あれをやらなきゃなあ。

いつ?今日は?

そうね、今日じゃなくて…週末あたり。たぶん。

 

こんな会話を自分と繰り返してきたよう気がする。

ものごとのせいにしたくはないが、昨年からの世の中の変化が日々心の中に引っかかっていて、まるで小さな石ころの入った靴で歩き続けているような気分。

何度靴を脱いでみてもどうしても石ころが見つけられない。

そんな心持ちのまま過ごして、見つかりもしないその石ころのことばっかり考えていた。

 

履き慣れた靴に変えればよかったのか。

 

新しい生活様式になる。

世間が変わる。

価値観が変わる。

その変化に沿うように自分自身も変わらなければいけないんだ。

その言葉に不安とたとえようにない焦りを感じていたが、自分自身がほっとする時間や場所までは、そう急には変化しない。

変化が必要な時は今感じているような違和感は小さくなり、無理をしていない形で自発的にそこへ向かうだろう。

 

 

これまでの自分を取り戻すのにきっかけとなった本を貸してくれた友人に、

ありがとう。やっとあらゆるスイッチが入ったよ。

そんなメールを送った。

 

生活する時間の使い方にようやく自分なりのリズムを生み出せるようになった。

そのことはとても心を軽くしてくれて、いつか行こうと思っていたすぐ近くの植物園に出かけてみた。

我が家の玄関出てからたったの15分で行けた。

こんなに近くだったんだ。

 

こんな時間も作ろうとしていなかったのか。

 

時間にはリズムがある。

植物園を歩きながらひたひたとやすらぎの時間が満たされるのを感じた。

 

靴の中の石ころ。

靴を履き替えるか、それでもだめならたまには裸足で歩いちゃうか。

それでいいんだよな。

 

その日、その日で変えながら自分の時間を過ごそう。

スイッチは人それぞれであり、自分の周りにあるいつものものが作用するものなのですね。

 

いつもの自分。

それは、最高に贅沢な自分なのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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