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2018.01.14

ここに生きる

 

 

 

初めて北欧スウェーデンを訪れた時は5月の後半だった。

飛行機を乗り継いでやっとホテルの部屋に辿りつき荷物を解放すると、ほっとしたのかベッドの上でガイドブックを読みながらうとうとしてしまった。

はたと目が覚めて部屋のカーテンを開けると、空が白く明るかった。

 

!!え?

あのまま夜が明けたのか?

時計を見ると9時過ぎだった。

太陽がいない朝。

ナイトテーブルのデジタル時計の数字は、21:20と点滅していた。

 

 

 

 

白夜か。

 

九州にしか住んだことのない私にとって、寒い国の生活を垣間見るのは、とても新鮮で当たり前への問いかけの連続だった。

長い長い極寒をしのぎ、春が訪れるのを極限まで待ちこらえていたかのように噴き出す新緑たち。

ほとんど絶叫に近い鳥のコーラスは、もはや喋っているのではないかと思えるほど。

春の陽射しは、こんなにうっとりするような匂いを含んでいただろうか。

 

強烈に、春を感じた瞬間だった。

 

それでも暖かい上着がないとまだ街を闊歩という、爽快な日本の5月には程遠い。

 

湖が多いこの街は、あるエリアに行くと小さなサマーコテージが点在している。

コテージのデッキでロッキングチェアを揺らしながら、ぼんやり空を見上げている人。

風が吹き渡る芝生の上に大きな布を広げ、寝そべって新聞を読んでいる人。

湖畔際の大きな石の上でもくもくと読書をしている人達などを多く見かけた。

中には、サングラスをかけた半裸の男性もいた。

しかも、ほとんどみんなひとりで過ごしている。

 

みんな、外で何してるんだ。

読書するには、太陽の光はしんどい気がするけどな。

 

 

後に知ったのだが、太陽を何ヶ月も見ることができない冬が終わると、この国の人々は1日でも長く太陽の光を浴びたくて、天気のよい日はみんな外で過ごすのだという。

 

日向ぼっこというやつだ。

 

ストックホルムを訪れてやっと理解できた。

北欧のインテリアデザイナーたちが歴史に残るほど多くいるのは、自然派生的な結果でしかなかったということだ。

 

それほどに恋しい太陽を思い照明器具をデザインし、長い冬を過ごすのに肌触りのよいフォルムの温かみのある木調家具や、長時間座っても疲れない座り心地のよい椅子。

家の中で過ごす時間が長いから生まれた機能美。

 

 

日本でも、北の方には優れた家具メーカーや民芸品が沢山ある。

それは単に素材が多く手に入ったからではなく、気候や風土、食生活と、慣習。

そこで生きてゆくことを受け止める時間が生んだものなのだ。

改めてそう思った。

 

同じ国でも、気候が違えばしつらえも変化する。

 

自分が住む街のよい面、苦手な面。さまざまな面々。

それらを全て受け止めて、楽しむ。

慈しむ。

愛しむ。

 

それらを愉しむ術を知らなければ、例えそこに住んでいても、胸をはってそこで生きているとは言い難い気がする。

ここに住むこと。と、

ここで生きていることは、全く意味が違うのではないか。

 

そう。

ストックホルムの湖畔にいた人々は、あの時、まさしく太陽を愛おしむ時間を満喫していたのだ。

 

日向ぼっこを誰にも邪魔されずに満喫する時間。

なんだか、贅沢な時間の使い方を知っている人々に思えて、ちょっぴり羨ましいような気持ちになったのを今でも覚えている。

 

 

 

 

 

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